実演鑑賞
満足度★★★★
昨年初観劇した(内容も初めて知った)戯曲。元は蜷川幸雄が野田氏にオファーしたものだとか(初演1999年)。他の演出家に手渡すべく書かれた戯曲を昨年は熊林弘高氏、今回は杉原邦生氏の演出で観る。真逆である。
熊林演出版は、静けさと透明感があって私は好んだが、今回はほぼ対極に振り切ると知って何故チケットを早々に仕入れたのかと言えば、出演陣、特に葵わかなの名があった故で。
朝ドラ「わろてんか」をネットで全編観終えた後、独特な笑顔で「こなしてる」葵わかなのプロフィールを見て驚いたのが出演時の年齢(20歳そこそこ)。他で目にしなかった名前を芝居のチラシで発見し、その舞台はコロナで流れたが、それで「今度こそ」とギアがかかったようである。純愛物やコメディならまだしも、野田氏の屈折戯曲を彼女がこなせる気が全くしないのに、である。杉原演出舞台も、甚だ失礼ながら「KUNIOハムレット」以来成功作にまみえた記憶がない。「外れだろうな」と期待をしていないのに楽しみに足を運んだという奇妙なケース。
舞台は意外にも、「パンドラ」の正解とは思えない出来(予感どおり)にも関わらず、楽しく観た。約めて言えば杉原邦生演出は「異化」に彩られており、一方戯曲にあるのは、眠っていたリアリズムの怪獣が姿を現わす大詰めのカタルシス(又はカタストロフ)。時系列無茶苦茶でもそれを捻じ伏せる言語力が売りの野田戯曲に対して、熊林演出は正しく、言わばレイヤー幾層も重ねる形で処理していた。軽々と捲ったり戻したりし、最後は一挙にそれを捲って「原爆」という歴史のリアルを見せる。現代と古代が、明確な区別とその侵食の具合が判るように熊林演出は見せ、全体には霞をかけていた。演技陣では古代の女を演じた村岡希美のキャラが立って関係が明確であった。
これに対し杉原演出は古代と現代の区別、それぞれの超課題、二つの関係性等が、演技を通して明確に伝わって来るという具合には行かなかった。演技陣が揃っていながらのこの状況は、少々残念である。ただ、明るい照明の中でハキハキと演じられる芝居は、「台詞を聞かせる」面で誠実さはある。熊林版では「雰囲気」で聞き流していたらしい台詞が聞こえて来たりもした。その事により、古代と現代の関係の(戯曲の)破綻具合も浮き彫りになるが、ボルテージが高まる終盤の高揚は否定しがたい。
感動の演出であるが、しかし原子爆弾の秘密が埋め込まれた古代王国の鐘を、敵方から守り切れず長崎の町を壊滅させてしまったと、現代(この芝居では現代=戦時中)の男が嘆き、それと古代の男とが「共鳴」するのであるが、因果関係を超えた殆ど「詩」の世界が、杉原演出では即物的というか「字義通りでございます」となる。
杉原氏の天然さ加減(そう仮定してみると合点が行く所も)は持ち味であり、欠点を補って余りある面もありそうではある。
さて我らが葵わかな女史は、声の良さが必死さ一辺倒の演技を補い丸みを持たせ、(杉原氏に通じるかもだが)天然ぽさが(人物造形とは関係ないところで)華を与えている感もなくはない。大型俳優が並ぶカーテンコールは壮観ではあるが、もっと「役」の存在として見えたかった。