鳥の飛ぶ高さ 公演情報 青年団国際演劇交流プロジェクト「鳥の飛ぶ高さ」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    どこまでも遠い、すぐ近く
     色々すごいなぁ、と圧倒されてしまったお芝居。なんというか、舞台から客席に向かってすごいプレッシャーが迫ってくるかんじ。なにか、大きなことが問題になっているんだけど、舞台上では答えは出なくて、宿題として渡されちゃったような気もする。

    ネタバレBOX

     フランスで、30年前に書かれた戯曲を、平田オリザが舞台を日本に置き換えてリライトしたもの。日本人の俳優たちが、日本語で、日本の話をするのに、舞台そのものは、どこかシェイクスピアみたいなヨーロッパ風なつくり。平田オリザさんの日本化が、ヘンに上手にできすぎてるのだろうか、日本的な表面と西欧的な構造のギャップが、舞台を観づらくしていた気もする。

     テーマは、企業買収。日本の便器メーカーが、フランス資本に買収されるまでの物語は、シェイクスピアの歴史劇ライク。絶対君主の社長が倒れて、二人の息子が争って。フランス企業の介入を、最終的には受け入れて。そういう様子が、形式どおり、わりとドライに、描かれる。「経済演劇」というより、これは伝統的な「歴史劇」を、現代に置き換えたものなんじゃないかなと思う。

     この舞台は、日本側の元社員のひとりが、現実にあった買収劇を趣味で戯曲化したものの上演、という複雑な設定。なので、作者は、ちょくちょく劇中の役を離れて、作者の立場から観客に話しかけてくる。舞台を外側から眺める視点は、観客に、感情移入をさせない配慮だと思う。つまり、問題になっているのは、ひとりひとりのヒトではなくて、「買収」という経済の構造そのもの、ということだろう。シアタートラムの窮屈で広い舞台と、青年団俳優たちの、誰にでも、誰でもないものにもなれる「ニュートラルな身体」は、ヒトのカラダを使う具体的な演劇を、ものすごく抽象化する。俳優たちを置き去りにして物語は進む。これはすごいな、と思う。すぐそこにある舞台とカラダが、どこまでも遠く感じる。

     そして「買収」も、スイッチが入ってからは、する側、される側、双方の人間たちを置き去りにして、どんどん進む。最終的に、日本側の社長とその弟は、いつの間にか、喜んで会社を離れる。買収する側のフランス人も、ひとりは日本の社長と一緒に会社を去っちゃう。残ったひとりも、そのへんで見つけた次の人材に会社を渡す、橋渡しにすぎないかんじ。誰もいなくなって、買収のすんだ会社だけが残る。全員死んで、不安だけが残る、シェイクスピアの悲劇みたいに。

     怖いのは、これが、喜劇としてつくられてることかもしれない。作者は、最後に、この舞台の幕切れは、アリストファネスの喜劇をもとに、結婚で終わるようにした、と解説。舞台上の人々も、だれも死なないし、なんだか嬉しそうだし、一見すると喜ばしいのに、やっぱり、その底にあるのは、人間不在の不安にみえた。これは、あからさまな悲劇よりもずっと怖いと思った。

     もうひとつ、怖かったのは、この舞台が、全体的に、とっても人工的だった、ということ。企業買収というメインプロットの脇に、日本神話の話や、ルワンダ虐殺の話やなんかが、並行して語られるんだけど、こういうのが、いかにも「下部構造!」という感じに、説明っぽく分かり易く置かれていて、なんだか、世界の全部を把握して、描こうとする、欲望が見え隠れしているみたいで、怖かった。

     それが、最近の青年団の、なにか、観客たちに「世界」をみせて、必死で「教育」しようとする姿勢と重なって、僕は、なんだかとっても、不自由な違和感を覚えた。

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    2009/07/17 13:17

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