ハルメリ 公演情報 西村和宏(青年団演出部)+ウォーリー木下(sunday)企画「ハルメリ」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★

    狭さと重さと
     なんだろう。バランスが、壊れていないかな、と思った。そして、無駄に疲れた……。チラシは良かった。すごく。

    ネタバレBOX

     戯曲が、結構すごい。批評的で、怜悧で、神様のような視線で書いている。そして、なによりもすごいのは、重いテーマをコメディとして描こうとしているのに、笑うところが一個も無いところ。坂手○二さんみたいに初めから笑わせる気がないんじゃなくて、重いテーマに飲み込まれた結果、「笑うところ」が逆に怖さになっちゃった、みたいな気がする。どうしても、こっちも難しいことを考えちゃう。批評っぽいんだもの。

     演出の人は、きっとそれを感じたんだろう。必死にポップにして、「笑い」を入れて、上演されたときの重さを緩和したかったのかな、と思った。

     自分がダメ人間であることを自覚して、他者との競争をあきらめる思想、「ハルメリ」。思想ではなくて「冗談」だよ、というエクスキューズのもとに世間を席巻するけれど、いつしか「非ハルメリ」人間を吊るし上げて排除しようとする運動に。みんな「本物のハルメリ」、ハルメリエリートを目指して競争が激化する。なんか、よく言われる、グローバリゼーションの核心としての「勝つことの中毒」みたいなものをみせる話。

     「大衆」が、描かれているのだと思った。でも、批評的な視点が強くて、この「大衆」はどこか抽象的だと思った。登場人物たちが、具体的な人としてみえてこない、漠然とした描かれ方。劇作家が一応試みた戯画化も、もっと知りたい心の機微を削ぎ落として、人々をより抽象化させてしまった。

     でも演劇は、上演されるとどうしても具体的になっちゃう。役者さんは、そこに在るカラダを持った人間なんだもの。しかもアトリエ春風舎はとっても狭くて、役者の舞台を歩く振動が直に伝わってくるくらい具体的な空間。たぶん戯曲は、こんな狭い空間を想定していない(上演そのものが意識されたかも、ちょっと疑問)。

     一方で演出は、重さを薄めようとしてか、なぜかハンドマイクで叫びまくる編集長とか、テレビのアングル切り替えをドタドタ自分たちの動きで再現だとか、戯画化の厚塗りに必死。で、これを目の前でやられると、こちらは、とんでもなく恥ずかしいのだった。

     必死さが、痛い。……。なんで、「必死さが、痛い」と書いて、背筋がぞっとするのだろう。「冗談ほど怖いものはない」とかなんとか、劇作家が書いているから? 彼女の視線は、やっぱり怖い。でも、上演するということには、また別な視点がいるんじゃないかな、と思うのです。

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    2009/07/06 20:17

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