これこそシェイクスピア
トレバーナン、ピーターブルック、ジョンケアード、木野花、加納幸和、そして、蜷川幸雄。内外の数々の演出家でいろんなマナツを見て来たのだが、日本では見て美しい蜷川版が何と行っても多くの人の心をとらえているのだと思う。このエドワードホールの演出のそれは、シェイクスピアの台本に立ち戻り、役者間と役者と客席との間で作られるコミュニケーションによって作られる空気をものすごく大切にし、それによって人々の心を動かした。肉体をものすごく使うし、そして、英語の美しい発音、台詞回しを楽しんだ。
シンプルな舞台、白人以外も多い男だけの出演者、繰り出されるギャグ…。こういう部分を見ていると、とても現代的に思えるのかもしれないが、私には現代の王道をいっていると思った。ヘンテコな読み替えをしない演出。シェイクスピアを敬愛し、作品を他の人の解釈に委ねず向き合って、作り上げたからこそ生まれた濃密感があったように思う。シェイクスピアの時代も今日の舞台のようにシンプルな舞台で、男の役者だけで演じられたわけなのだから。