実演鑑賞
満足度★★★★
森の中の貴族の屋敷の東屋風のセット。開幕前、ヨーロッパのアンティーク調の椅子がひとつおいてあって、貴族風だなと思っていると、名家の父と、互いに反目する兄弟の話が始まる。弟フランツ(桧山征爾)は、醜い容貌で父や女の愛も得られなかった妬みから、権力欲に取り憑かれ、兄を讒言し、父を騙す。シェークスピアのリチャード三世やイアーゴーのような悪役である。騙された兄カール(フクシノブキ)は、盗賊団の首領となり、正義と復讐のために多くの人々の血を流す。シェークスピアの人物では思い浮かばず、巌窟王のエドモン・ダンテスか、義賊ロビン・フッドのようだ。私生児で下僕となっている三男がいるのは、カラマーゾフのよう。
老人のカネを若者が奪うのは、無駄カネの有効活用だといい、修道院も平気で襲って女たちを犯すシュピーゲルベルクはニヒリストである。ラスコーリニコフか「悪霊」のスタヴローギンのよう。
兄カールへの愛を貫く聖女のようなアマーリア(高崎かなみ)は、ソーニャかオフィーリアだ。
このように、ヨーロッパの名作の見どころを多数取り込んで一つにまとめたような舞台である。(ドストエフスキーはシラーのあとだから、シラーが影響受けたわけではないけれど)シラー19歳のときの処女作で、「ドイツにシェークスピアに匹敵できるのは彼しかいない」と言われたそうだ。なるほど、さもありなんと思う。終盤のフランツが、自分の悪事が露見して、罪の意識に苛まれて錯乱するのはマクベスのようだ。シラーがシェークスピアから受けた影響は強いのではないだろうか。