てげ最悪な男へ 公演情報 小松台東「てげ最悪な男へ」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    凡そ9か月振りの三鷹。小松台東は昨年のグッドディスタンス、アゴラ公演でさほど久々感は無いものの本拠地で本領発揮の「細部にこだわる芝居」が観れた。「痛い」男の話であるが男は一度は経験するだろう「失恋」のロングバージョン。ただ、そこをオチにしたのはたまたま、とも見える。不幸な生まれの女子物語としても通るしそちらの目線で追えばハッピーエンド。裏表の関係。
    小松台東での瓜生氏の役柄は割と枠に収まっている気がするが(そういえばiakuの舞台でも恋の成就しない哀れ男だった)、時には二枚目役も見たいぞよ。

    ネタバレBOX

    前作でも「殺し」が出てきたが、松本氏の役柄も身を持ち崩す系に寄っているような。。
    破滅的な話にしては話の筋に無理を感じる箇所は、脇役である同町内の男の笑わせ所のためにせよ、小園演じる女性が長年同居した叔父に気を許し「過去から逃れられない」と悲観して思わず叔父の抱擁に身を任せる時間が長い。回覧板を届けに来た時その二人の姿を見て「誤解」し、回覧板を音を立てず足をそれ以上踏み込まずどう置いて去るか、を色々試した揚げ句諦めて持ち帰る、というくだりだから長くはなるが・・。
    女は叔父の「妙な動き」に気づいて「そうだったの?」と呆れ、百八十度真逆の存在となる。冷たい世間の風を二人でしのいできた歳月も色あせ、父代りの叔父が彼女の新しい恋人に中々会おうとしなかった事とも符合した。だが、、「過去」は拭い去れず、従って「二人」で生きて行くしかない、その「絶望」(叔父にとっては希望)が叔父との紐帯を確認する事となり、抱擁に至ったのであれば、そこから男女の関係の可能性もゼロではない。むしろ、ある。ただし、女の絶望に乗じる男も「最悪」ではあるが・・しかし女も叔父にしなだれかかる程には、実は絶望しておらず、新しい彼氏との関係に不安ながらも希望を抱いていた訳である。つまり抱擁は彼女の素直な表現でなく、彼氏との面会を拒む叔父を「懐柔」するため、悲劇のヒロインを演じ「絶望するな、希望を持て」の台詞を引き出そうとした。計算があり、純粋一本でない、と見える。
    ただ、叔父の父権主義な態度を女が「許していた」一面があったとすれば、その裏側には「叔父は自分のために存在してくれている」という仮説、信頼が存在しており、その暗黙の契約関係を叔父は(愚かなことに)破棄したという事態とも見える。
    いずれにしても、この「最悪」は男の人格や存在が、というより、ここに至った事態が、であろう。年輩男が年下女性に恋心を抱くことを「汚い」といった形容で規定するのは殆ど「見た目」の問題に思える。もっとも見た目は重要だが、瓜生氏でないタイプの男(しゅっとしたダンディ男、またはもっとうんと不細工)が同じ思いを抱きそれを実現させようとしたと想像すると、「汚い」と眉を顰めるのでない別の物語が生まれる気がする。その違いは・・客観的には見た目だが、主観的には「汚い」と感じているかどうかなのだろう。この芝居の男は恋心を打ち明ける事なく、流れに任せて事に至ろうとした。言葉に出来ない後ろ暗さがあった、という事の証であり、自分の主観に閉じこもって相手を実は見ていない、そのエゴを貫徹するのでなく押し殺し「演じてきた」事が、最悪なのだろうと思う。実に、よくある話だ。。

    0

    2021/06/01 08:44

    0

    0

このページのQRコードです。

拡大