朝霞と夕霞と夜のおやすみ(ご来場ありがとうございました) 公演情報 FUKAIPRODUCE羽衣「朝霞と夕霞と夜のおやすみ(ご来場ありがとうございました)」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    はまってしまった。
     賛否両論分かれると聞いてきた初見の羽衣妙ジカルだが、見事にはまってしまった。面白かったとか感動したとかいう表現ではなく、糸井マジック、FUKAIワールドに洗脳されていまったという感じ。中毒性のある芝居なのでみなさんご注意を(笑)。

     全編性的描写ののオンパレード。最初はびっくりしたが、FUKAIPRODUCE羽衣(以下FUKAI)の表現は少しもいやらしくない。独特のえも言われぬ動きを繰り返す踊りは、シャーマニズムの儀式のように、神々しくさえ感じた。そう、深井順子は現代のシャーマンなのだ。

     そして途中から、これは豊穣の祭りだったんだと悟った。彼ら(彼女らの)全身からほとばしるエネルギーは我々の心の中に直接的に働きかけ、爆発的なエネルギーと生の活力をいただいた。

    ネタバレBOX

     1枚の大きな布にくるまって役者が登場してくる冒頭シーンは、暗示的で興味深い。そして全員が出そろうと、それぞれが布団(ベッド?)となり、そこでそれぞれが一夜を過ごしたカップルになる。見事なオープニングだ。

     そして、その後も様々シチュエーションを変えながら、エロティックなシーンが続く。
    ホテルだったり、山の中だったり、二人の部屋だったり。そしてそれぞれのシーンに次第に激しい音楽と激しい踊りが絡んでくる。その踊りはどこでも見たことのない踊りだ。演技と音楽と踊り、それらが全部からみあって独特のFUKAIワールドが出来上がるのだ。

     演出家が狙っているのは、決して性の解放でもなければ、エロスへの礼賛でもない。音楽と踊りと台詞とシチュエーションがぴたりとあったとき、役者は一線を越えて光を放つ。その役者が光を放つ瞬間を生み出すために色々な設定を用意しているのだ。

     FUKAIのことがわからない人は、ひとつひとつのシーンに脈絡がないと言い、全体として何が言いたいのかがわからないと言う。違う。FUKAIの芝居は頭で考えてはいけないのだ。体全体で感じる芝居なのだ。FUKAIの芝居に身を任せ、感性で感じると、最初のシーンからラストシーンまで構成がいかに緻密に出来ているかがよくわかる。例えば、コンサートに行ったとき、1曲1曲にテーマの関連性はない。しかし、それでもその1曲1曲がからみあって、コンサートはどんどん盛り上がっていき、最終的にコンサート全体の感動を生み出す。それと同じなのだ。

     心を無にして、この芝居に身を任せれば、この芝居がいかに清い芝居で、いかに美しい芝居かということがわかる。そしてなにより、役者のひとりひとりが舞台上できらきらと輝いていることがわかるはずだ。

    女優として歌手としてダンサーとして類まれなき才能の持ち主、深井順子と、独特の糸井ワールドを縦横無尽に繰り広げる作・演出・音楽・振り付けの糸井幸之介に魅せられた一夜だった。

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    2009/05/14 00:54

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