満足度★★★★
本コンクールの初観劇は昨年、念願叶ったのは「配信」のお陰。つまりコロナに見舞われて丸一年が過ぎた。
思えば昨年二月の末頃には、大手の公演中止が出始め、三月一杯は上演を決めた公演と中止した公演と二分したが、すでにこの時点で、劇場でのコロナ対策は(バラつきはあるものの)今見ても遜色なく講じられていた事は覚えておきたい。
(それに引き換え政府がこの一年でやった事は・・感染対策の核である検査・医療体制の整備のための制度改変はやらず、感染者数に一喜一憂、分母の検査数は問わず「日本方式?が優れていた」だの結果論で寝言を吐いていた。民間の自主対応任せで全体状況が何も変わらない無策な国の足下を見てか、東京都の対応も以前に増してひどくなってるらしい。何のために国のブレーンを高給で雇ってるのか再考した方が良い。)
閑話休題。本コンクール、昨年のはぶっちゃけ最悪と言えた(忍耐を要する画質・音声)。急きょ無観客対応で設えたのだろう、当時の他の配信と比べても中々な質であったが、それに比べりゃ今回は普通に芝居を楽しめた。
さてまず審査のほう、審査員8名による投票がバラけにバラけたのが面白い。4演目どれ一つ系統の似通った舞台はなく、脚本でなく演出をみるコンペだからあり得るケースかも知れないが、これに優劣をつけるのは厳密な意味で難しい。演劇の多様性、どういう要素を演劇として高く評価するのか、第一線の演劇人も全く異なるという事実が痛快。ある種の感動である。
ちなみに私の観たのは初日からの上演順での4演目(2ステージ目は見ず)。これに1~4の点数を付けると、
三上陽永(ぽこぽこクラブ)「見てないで降りてこいよ」=4
今井尋也(シルクロード能楽会)「「道成寺」疫病譚」=3
國吉咲貴(くによし組)「おもんぱかるアルパカ」=2
伏木啓「The Other Side-Mar.2021」=1
答え合わせ・・どの審査員とも重なってない!(ちょっと嬉しい..が数学的には、、採点パターンは24もあった。審査員8名、成る程..)。
以下作品評。
三上氏は自劇団で劇作者として本格活動の由。話もよく出来ているが、本作の特徴は生ギター・生歌が劇に深く絡んでいる事。冒頭とラストに挟まれた本編(回想)では、ティーネイジャーの3人(男2女1)の出会いと成長、音楽への夢と紆余曲折の顛末がテンポよく語られるが、一人の際立った個性(障害?)とそれを補い合う自然発生的な関係が、登場人物3人のみで描写され完結できているのはひとえに「生音」が無理なく物語にハマっている効果だろう。戯曲ありきの人選か、役者あっての戯曲か、興味あり。
今井氏のシルクロード能楽会の同演目は、TPAMでも上演されたらしく、パフォーマンス・アートの範疇だがコンクールの最終候補に残るものとしては異色だろう。内容は端的に、大真面目な「能」の世界である。一しきりやった後、幕間で演者(主宰者か)が素の感じで客席に喋るのには驚くが、本編は能。ただし自分的には元の「道成寺」をしっかり踏まえてないので(独特な発声の台詞=謡いを聞いてもストーリーを追えないので)翻案のポイントなど分かりやしないが、囃子方の豊富さにはさすがに気づく。女性の演じ手も登場して表現としての広がりがあった。
くによし組は見そびれていた一つで今回ほぼ初になるが、若手女子のユニット、無理矢理分類すれば、<なかないで、毒きのこちゃん><ひとりぼっちのみんな><だるめしあん>といった毒あり文学少女の脳内世界(かなり無責任な分類)の範疇だろうか(「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」の妹のイメージ・・若手女子は皆同じに見えると白状しよう。もっとも、<なかないで>主宰は女子でないとの噂も・・)。
駄洒落のようなタイトルから書き始めたとも疑える内容で、冒頭の奇妙な場面を出した後、そこに至る経過を紹介するという話の展開。戯曲の着想の中に演出的な要素があり、人物3名のキャラ(内面も)設定も現代的。ただ荒唐無稽のシュールさと、徐々に露呈する人物の(又は関係の)「痛さ」=リアルがうまくマッチングせず、無理筋感が残ってしまったように思う。
唯一非東京出身者(愛知)の伏木氏の舞台は、舞踊を軸に、対話劇の場面など多彩に織り込んで一つにしたものだったが、パフォーマンスと併走するキーボード(ピアノ音)演奏が、解釈幅を広げたい所、狭める単色の響きが(瞬間的にはドラマ性を持ち込むが)「もっと見てみよう」という呼び水にならず、多彩な場面が我々をどこに連れて行くのか(何を発見する事になるのか)という期待感が早々に萎えてしまう。出演の女性二人の衣裳が自分としてはまず残念感。元々踊り手だからか?台詞が素人っぽくても許せるが妙に「演技」をしていてそれが薄っぺらく感じる。しかし出演者の力量というよりは、配置された各シーンの関連や全体が果たして出演者の理解できるものだったか・・観る側も最終的に一つの構築物を見たという感慨には至らなかった(配信で見た限りであるが)。