この若者たち、実際に生きる感覚を持っているのだろうか? 大脳皮質だけで受験技術を磨いて大学に受かったというだけの空無だけを感じた。だから皆旅を目指している。ハナっから嘘の旅や旅ごっこである。真に自ら旅と言えるような旅は彷徨であり、彷徨とはある種の死である。BaudelaireがL’Invitation au voyageで描いたような華麗も情趣も全く無く Any where out of the worldで描いたような深い絶望やこの世に対する懸隔も無い。無論オブローモフのような貴族の退廃にも程遠く、唯、無意味を倦んでいる。即ち演劇云々の前にキチンと生きていない。無論、キチンと生きていない以上、死の淵に向き合うことも決してない。ただ胡乱な影の更なる影として事象からも見捨てられ、見捨てられた者同士が乳繰り合っているだけだ。現代日本の若者にこのようなタイプが居る事は彼ら自身にとって気の毒なことにも思われるが、受け身で生き、自分の頭をキチンと用いて深く考えなかった結果がこの有様だろうと自分は考えるので、まあ、人間としてのサイズも小さいのだろう。ちょっと気の利く奴なら少なくとも18歳までに色々はみ出して実験データも集めているのが当たり前だ。学校の勉強は学校で集中すればそれだけで足りる。そういうことが出来なかったというよりやらなかった人達であろう。そのことが気の毒である。