満足度★★★★
前方下手寄りの席に座り、開演するとステージ上手側面に透明ボードで仕切ったブースが浮かび、中に演奏者が見える。「見やすいラッキー」と見ると、奥にキーボード奏者が居る手前にもう一名居るらしく、楽譜めくり?まさか、と思って終演後パンフを見るとなんとチェロだった。
開幕後、間歇的な音の中で白いビニル(防護服かその暗喩か)をまとった俳優らが一人また一人と出てくる(一名のみ男性で黒)。「詩」が始まると声(まずは演出篠田氏の低音)が心地よく耳をくすぐり、詩の内容はタイトルから想像され、シリアスの予兆はあるものの静謐な導入に居心地がよくなる。・・私めはこのあたりで野太い睡魔がもたげ、前夜の睡眠2時間の体調が表に出てきた。
耳は「言葉」を聴こうと試みるが言語認識(音から意味への変換)は追い付かず、「観劇」しているつもりで終ってみれば敗北。この舞台にとって全てと言える「言葉」を取り逃した。
痛恨の観劇であったが、五感で受けた印象だけ記せば・・
遊戯空間の「詩×劇」と言えば2年前新宿でやはり和合亮一氏の「詩の礫」を元に構成したものを観た。「詩」・「劇」を謳う通り舞台での主役は「詩(言葉)」であり、パフォーマー=語り手は言葉に命を吹き込むように声を出し、動き、位置取り、大勢で畳みかけ、静寂と闇の際が見えた。新宿文化センターでは観客は床の上に座る格好、役者をほぼ見上げる形で、「地面」を意識した。言語を際立たせるための発声と動き、という関係性は<地点>に似る。「仮名手本忠臣蔵」に通じるが出演者の数(こちらは役の数と言った方が良いか)、横に広がるステージで客席との近さもポイントであった。・・といった気づきは、今回との比較により、上野ストアハウスのどちらかと言えば縦長の箱でステージを見下ろす形、また出演者数(9名)に視覚的、聴覚的(声量)に若干物足らなさを感じたのは確か。但し演出的には数量による押しのパワーより、ナレーションを多用し「想起」の時間へ誘うものがあったようにも。視覚的にハッとする瞬間が幾つかあり何かの隠喩となっていたが思い出せない。時間があれば再見したいが今の所無理である。
2020/12/07 12:20