満足度★★★★
新旧の秀作を堅実な演出とキャストで舞台に上げる俳優座劇場プロデュース。今回はフランス産の近作で、登場人物4名による、サスペンスフルで予期せぬ結末が待つ考え抜かれた台詞劇。
最終的に艶笑譚に終わる芝居だからつい「喜劇」と紹介したくなるが(実際そのカテゴリーに入るのだろうが)、私は本編を「笑って」は見なかった。
ドラマはとある夫婦がこれから親友夫婦を夕食に招こうとしている自宅で、妻が悩まし気な顔をしているのを問い質した所、親友夫婦の夫が今日の昼、ある店の前で妻以外の女性とキスをしている所を見てしまった、という妻の証言に始まる。この事実?を巡っての冒頭の夫婦の言い合いを端緒に、「嘘」と「真実」を巡ってこの芝居丸ごと動員しての壮大な議論の様相を呈する。
「ディナー中止」の合意に至るも時遅く夫婦の訪問を受けてしまうまでの夫婦のやり取りは、次の通り。・・自分にとって親友である相手の妻に「真実」(相手の夫が他の女と会っていた事)を告げないではいられないと、妻が言う。夫は自分の親友である(妻同士の関係よりも古い)相手の夫の前でそれを言うつもりかと迫ると、「私に「嘘」を付けと言うのか」と妻は返す。夫は「それが友人としての態度。彼らの生活に立ち入らない事だ」と言い含めるが、妻は首を縦に振らない。決着がつかぬまま夕食の時が来る。
妻は暫くは我慢していようと思いきや、「例の事」しか頭にないらしく、相手の夫にカマを掛けてみたり、肝を冷やした夫が話題を逸らそうと奔走したりといった「喜劇」らしいやり取りが続く。しかし関心はそこにばかり集中しない。というのも、会話の流れが一々エレガント、言葉に知性と含蓄があり、相手夫婦の佇まいにもどこか注視させるものがあり、「人物」への興味が湧く。
芝居は早々に「真相への道程」のスタートを告げ、やがて主役である夫の目線で「謎」が深まり、彼の目を通して観客も「謎」に向き合い、迷路に入り込むという塩梅。つまりミステリーとなる。
この作品は「謎」に対する驚くべき「真相」が待っているという、「娯楽」作ではあるが、その謎解きに至る手前までは、シリアスドラマと言って良い程に主人公=夫の苦悩がある。人の苦悩(しかも浮気云々)は笑いの要素ではあるが、この場合、観客が登場人物より情報を多く得ているゆえの「笑」の構造はなく、観客は夫と同じく迷わされている。
途中までのストーリーも紹介すると・・スキャンダルの疑惑は相手の夫から、我らが夫婦(相互)にも及ぶ。例の件がショックであったらしい妻が感慨深く夕食を振り返り、ふと夫に訊くのだ。「あなたはどうなの?私以外の女性と・・?絶対怒らないから正直に言って。過去の事をどうとは思わない。その事より私は二人の間に嘘がある事の方がつらいの。」(という趣旨)。妻のまっすぐな目についほだされ、一度あった、と告げてしまう。妻はこれに対し今思いついたとばかり「そうだ」と畳みかけ、具体的な期日と場所を挙げて夫の証言を引き出す。「今年の春に出張とか言って○○に行った、あれ?」・・「そう」。「ちょっと待ってもしかすると夏に○○島に行ったあれも?」、「そう」(正直モードに入ってしまったので畳み掛けの質問につい返事をしてしまう感じ)。ここで妻が「全然過去の話じゃない。ただいま現在の話じゃない」とキレ気味に反応すると、夫は否定できない。話が具体的になりすぎて「いや関係はもう終わった」と抗弁したその舌で、いつ何故どうして終わったのかを具体的に説明せねば説得力を持たず、夫がそこに説得力を持たせる自信など無いのは様子を見ただけで明白である。
夫は今更ながらに後悔した様子だが、妻は最初に「怒らない」と言った約束とは裏腹に夫への不信感と嫌悪を露わにし、リビングを出てしまう(鍵を掛けられ寝室に入れてもらえない)。
夫婦のあり得るリアルなやり取りの一例だが、さて翌日、冷静になったらしい妻は、夫への反撃なのか、正直モードでの告白か判然としない(ここからがミステリー)台詞を吐く。「昨夜は自分の感情に負けてしまったけれど、私はあなたを責める資格はない。」(最初夫はその言葉の意味を理解しないが、やがて気づく)。「実は、私も・・」
その相手は芝居の構成からして相手夫婦の夫と思しく、観客は夫に先走って疑い始めるが、次の場面ではその相手の夫の訪問を受け、こちらの夫の相談に乗っているという案配だ。ここでの友人の「意味深な」回答、アドバイスも観客的には疑惑の説2パターンばかりを連想させる。こうして「謎への解答」は絶妙に迂回路を辿り、やがてラスト、観客に最も効果的なタイミングで見せられる事になるのだが・・。
全編にわたって「真実」と「嘘」が錯綜し、後半から終盤にかけて混迷の度合いは深まる。だが、この芝居がどんでん返しの快感で閉じる娯楽作(喜劇、ミステリー呼び名はいずれでも)と一線を画するように感じたのは、俳優たちのリアリズムに軸足を置いた演技による所が大きいと思った。
最後、仲睦まじく隣り合って座った夫婦は、互いに不貞を働いていたとおぼしいと知った今、事実を受け入れないために「嘘」を相手に暗に要求するのだが(この台詞運びも見事である)、二人はある種の明文化されない「約束」を交わしているように見える。
で、ここは微妙であるが、妻は女性らしく夫に、夫は男性らしく妻に(つまりそれぞれの仕方で)愛情を向けていると知れる演出・演技になっている。
だから、終幕に残るのは(よく書けている)戯曲の言葉ではなく、二人の存在=残像なのである。
夫婦が心底では望んでいただろう所に決着した、という風に少なくとも真実らしく見えた事が、私は演出の狙いであり俳優たちの仕事だったと見る訳である。
相手の夫は最後にはえらく悪役だった事が暴露される事になるが、愛嬌もありキャラも合致。相手の妻も、退屈な夫婦生活に刺激を求めて罪悪感なしというキャラで、裕福さが背景に見える。
一方主役の方の夫婦も一応収入はありそうだが(妻は会社で重要なプレゼンが明日あるとか言っている)、相手夫婦より観客に近い位置にいる。二人は各々「真面目さ(誠実さ?)」の片鱗がその人間性に垣間見える瞬間があって、それが大団円での愛の見え方にもつながっている(・・とすればこの作品はやはり戯曲の勝利か)。
どちらにせよ、戯曲は優れものであり、舞台は爽快感と深み(真実味)を残した。