この芝居、歌舞伎で見るのはもう何十年ぶりだろうが、見たばかりのような気がするのは昨年、野田秀樹の「Q]が本歌取りをしていたからだろう。流人の帰郷願望のドラマなのだが、こうしてみると、改めて、すべてに人にも共通する「結局はひとりである」という現代人にも共通する人情に触れていると感じる。いつものことだが歌舞伎評は渡辺保さんの詳細な歌舞伎劇評がタダで、ネット公開されているからお任せするとして、(ありがたい。さすが学士院賞である。学術会議もこのような方の集まりだったら、もっと世論の支持が強いだろうに)。野田秀樹のQが引用しているわけはよくわかった。
幕切れ、岩上の松の枝を折って、岩頭で流人船を何もしないで見送るだけの吉右衛門はなかなか深くてよかった。それにしても、その前のアマをつれていく、行かない、人数で検問が通るか通らないかで殺陣になるくだりは、そのあとの話の展開に比べると下世話で冗長に感じた。吉右衛門、この日はあまり体調良くない気配でいつもの迫力に乏しかった。客の入りも市松模様で、掛け声禁止では気が乗らないのも無理はない。拍手というのは歌舞伎見物の作法にはないものだから、かえってだらけて場の興趣を削ぐ。