満足度★★★★
観劇後の感想は複雑である。
大体こんな大劇場でこの演目を見たことがない。最後に見たのも杉村春子だったから、もう五十年も前か。その頃はこの舞台は確かに現代劇の秀作だった。役者もよかった。舞台に華があって、観客も酔えた。東横劇場だったか、紀伊国屋だったか忘れたが、演舞場のような本来は和服のお姐さんたちの賑わいが似合う大劇場ではなかった。それが、市松模様のコロナ客席。桟敷席にはだれもいない。いま「女の一生」を松竹がガラリ、スタッフ・キャストを変えて公演するには、時期が悪すぎるのではないか。
久しぶりに見た感想。戯曲。古典化しているが、意外にそれほど腰は強くないのではないかと思った。今見ると、主人公の布引けいに現代人を引っ張っていく人間性がない。自分の行動を自分の選んだ道だからと、言うが、現代女性に同感されるだろうか。やはり、これはちょっと明かりが見えていた昭和初期のはかない希望の時代に裏打ちされた風俗劇なのではないか。それならよく出来ていて、老年の私は今回の上演でも同感できたが、世代を超えていけるとは感じなかった。さらにいえば、周囲の人物が単純に役割付けされていて、風俗劇になら、十分通用するが、古典として様々な角度から切り込んでいける余地が少ないとも感じた。今回は脚本を戌井市郎補綴版を使っていて、昔見たものと変わっていなかったからそう感じたのかもしれない。しかし、なじんでいた幕切れのカリドールは完全に浮いていた。
演出。段田安則が自分も、堤家の長男役を演じながらの演出である。特に新しい趣向があるわけでもなく、殊勝に戯曲を追っている感じなのだが、良くも悪くもない。困ったのかもしれない。その点でも、板の上を委縮させる悪い時期だった。
俳優。つい、宮口精二は・・と思い出してしまうのだが、文学座と比較するのは意味がない。現代にパンチがあればいいのだが、現代劇にもなり切れず、また時代劇にもなり切れずの中途半端さが残る。大胆になることをためらわせる空気がある。その中でやった俳優諸氏にはご苦労様というねぎらい以上の批評はできないだろう。
弁当も禁止、食堂も細々としているのでは時間を持て余す休憩30分を含んで3時間。劇場内でしゃべるな。と言うコロナ対策は劇場を殺す。劇場でのおしゃべりを楽しみに来る懐の温かい老女の客は結構多いのだから。客のおしゃべりは小屋の賑わい。これでは客の戻りは遅い。全興連は劇場の特性をいい加減な責任逃ればかりの政府に言うべきだ。プロ野球はちゃんとやっている。