満足度★★★★
黒テントファンとしては片岡哲也氏の回を選んで悔いは無いが、この様式では若松力氏の風情が見やすかったかも知れない、とは思いつつ、時間遡及のプロットで書かれた作劇を興味深く鑑賞した。
(片岡氏はリアルをベースに軽妙誇張のニュアンスを表現できる役者で、安定感があるが形を決める月船との微妙な質の違いが出たように思う。若松氏はリアルを削いでもニュアンスに統一性を持たせるので(前回の「少女仮面」での噛みのように)崩れると弱いが貫徹すれば相性は良さそうだ。)
同演目はmetroで10年前大物俳優と上演済みで、今回と演出は違うのかは不明。が、恐らく原作からの翻案は同じだろうと思う(この原作は様々に解釈したくなる古典と異なり上演の動機は自身のこだわりの読み込みがあると想像される)。原作は高校時代に読んだ記憶しかないが、男が如何に女性に弱いか、特に老いに片足突っ込んだ男が若い女性に対し宿命的に隷属する「定型」を叩きこまれた。男の本質の中に、奴隷にされてもその女性に繋がりたいという願望がある、という・・。これを年端も行かぬ青年が読んでしまって良かったのか?一抹の疑問があるが、ともかくそれはそれは付くも地獄離れるも地獄のマゾヒスティックな生の、これ以上ないサンプルであった。が、今回の舞台では冒頭その様相が描かれるものの、男の精神の荒廃を表す床に散らばった衣裳が少しずつ片付くにつれ過去の場面に遡る。その時々の関係性が、特に説明の無いのに会話や風情で示されるのが趣深く、「幸せだった過去」を眺めるように(バイアスのかかった?)二人の風景が再現されていくが、芝居が幕を閉じるのは過去の場面で、つまり「より苦しくない時期」で、である。現在の地獄は相対化され、「あるいは二人は・・」と、パペットによる老いた二人の寄り添う姿が半ばハッピーエンド風を演出する。ほろ苦さは残っても「甘い」気分で終幕を迎える事になった。
「過去を見るように現在を見る」という読み方は、鬱屈が常態となった日本では、現在を生き抜く術である事を示唆するものか。