ゲルニカ 公演情報 パルコ・プロデュース「ゲルニカ」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    リニューアル前も足を踏み入れた事のないPARCO劇場を見たさに、とはこじつけで、専ら長田女史のこの題材は必見と大枚はたいて観劇した。

    序盤にも関わらず俳優の台詞に宿る感情、というか、それらで構成される場面が細密で、栗山演出の力量だな、と感じ入る。
    盆を使った装置転換と照明を使った心理的な場面転換、殆ど前面に出ないが深層に響くような音楽、俳優はその上に配されている印象だ。
    氏がよく使う象徴的な大型装置は、今回バトンで吊られる赤い布。近い質感の、古紙を模したような大型パネルも転換時に舞台上に躍動する。肌合いはバスクの村の家々の土壁にも通じていそう。冒頭舞台奥に横一列並んだ俳優たちのシルエットに浮かんだ衣裳からして濃厚に「異国」が香り、かの地での物語が始まる。
    布はある場面で意外な使途で登場し、ここでも栗山演出の存在感を見せるが、私の中では他ならぬ「スペイン」を意識させる音楽に琴線を弾かれた。

    やがて来る無差別爆撃までの村の時間は、長崎の原爆投下までの「無辜の人々の日常」を描いた『明日』とは異なり、ゲルニカの村もスペイン内戦を闘う当事者である(戦争当時の日本人を全くの無辜と言い切れるかは議論がありそうだが)。とは言っても、「その瞬間」の到来を予め知っている観客(ほぼそうだろう)が見ているのは、内戦中でも確かにあった人々の日々の営みである。上白石演じる主人公=平等社会の理想に開眼した領主の娘は、男らが戦闘に身を投じていくのと対照的に、生きる日々の選択に真剣である。
    脚本には長田女史の劇作家の円熟が随所に光る。創作としては爆撃の日までの道程に盛り込んだゲルニカ領主(今は亡き元領主の未亡人)のエピソードが効いている。ゲルニカの良心たらんとする領主の選択と変節の場面(詳述せず)。
    冒頭の横一列の村人の姿は冒頭含め3度見られるが、正面に向かい前進しながら歌う歌は、ジプシーが育んだフラメンコを彷彿させる節である。拍子は鼓動、絞り出す声は心臓の吼え声。生きる事が常にレジスタンスであった民族の歌は惨劇にまみれた人類史を「生きる」我々を鼓舞する。俳優諸氏の歌唱の流儀は異なったが「地」の声が聞こえ、私はこのラフ感が気に入った。
    ピンポイントで登場した映像も大きな効果を上げていた。
    (語り足りぬ諸々はまたいずれ。)

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    2020/09/16 00:32

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