満足度★★★★
小林恭二や1980との共作等、芸劇を準本拠地に異色舞台を打ち出していた10年前の新宿梁山泊の一つの極点がパギやんこと趙博氏との前作、脚本も趙博による趙博の世界で、氏に梁山泊本体の使用権を与えたようなものと思ったものだが、あれから早8年。コロナ状況に物申さぬ訳がない趙博の今回も作であるが、趣向は場末のライブハウスのマスターに金守珍氏を据え、歌あり芝居に真正ライブも兼ねた、肩の力の抜けた何でもあり感溢れる舞台。
趙博前作の目玉として披露された歌の新版、新百年節が今回もこの舞台の魂。在日ヘイトもアベノマスクも「ど阿呆!」と叱る「正常な言論」が、お芝居であるはずの空間(特に密を味方に上演を続けてきた梁山泊には難点であろう空きっ歯のような客席とステージとの間にぽっかり空いた空間)では生々しい響きを持つが、「正常な言論」が生き延びる(語られる)場がないならこの場所をその場とするしかない今を痛感する。
従来の梁山泊では見る事のなかった噛みは、稽古の事情か台本の影響か、はたまた客席との距離感から来るものか。だが後半リハーサルの体で展開するライブ(出し物あり)、そしてコロナの現在進行形に立ち戻らせるラストまで、可愛らしくも力強い舞台。