融通の利かない人、つまり固定観念に凝り固まっている人には向くまい。そんな下らないことは打っちゃっておける人、アホ過ぎる世界に飽き飽きした人、而も同時に真を追い求め、独り事実と向き合うことによって普遍に至ろうとする本当の少数者にとっては極めて心地よく遊べる作品として評価されるであろう。少なくとも、新たなもの・価値に真っ向から向き合う為、人は既存の価値観を一旦捨て去らなければならない。一回、総てを更地にして新たな原理を考え、創造して初めて世界のパラダイムをシフトすることができるのだ。この時、肝要なことは、一旦今までの価値観や価値体系を捨てる時、更に一段掘り下げてそれらを支えているものの脈絡を見出し、それを支えている根源を探り出して疑い、それでも最後の最後に残るものがあれば、それを特定しそこから始めるという立場が在り得る。お気付きの方もあろう。DescartesのCogito ergo sum.の立場同様の立場である。21世紀にもなって未だデカルトと言っているようではハッキリ言ってパラダイムシフトなどに言及する資格等無かろう。当然だ。だが、これは考え得る1つのポジションに過ぎない。この程度のことは前提に出来るようにした上で新たなパラダイムが思考されなければなるまい。