ゆうめいの座標軸 公演情報 ゆうめい「ゆうめいの座標軸」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    まず「俺」、続いて「弟兄」(何故か「おととい」と読む)を観た。
    3年前の下北ウェーブ企画(だったか)でピックアップされた3劇団の一つがゆうめいで演目は「弟兄」。スピード感があって中身はねちっと重い。確か「ドキュメント路線で成功したが、ネタ切れせず続けて行けるのか・・」的な感想を書いた覚えがあるが、デビュー作「俺」から最新作「姿」まで、かの路線を堂々と歩んでいる。
    役が客席に語るナレーション・スタイルが成功している芝居は結構多い。昔~し観た「ホテル・カリフォルニア」、「焼肉ドラゴン」も。回想式が相応しいドラマ、と言えるか。今回のゆうめいの二作品も、苛烈ないじめや死と隣合せの日々が「回想」のフィルターによってノスタルジックに立ち上がる。「俺」ではMisha、「弟兄」では椎名林檎で。

    ネタバレBOX

    ドキュメントとは事実という事だが、これは芝居である以上どこまでが事実でどこからはフィクション(創作・編集されたもの)かは取り敢えずベールに包まれている。ドキュメント「的」手法は、面白い。だが事実性に裏打ちされた迫真は、事実か否かの疑義の前で色褪せる。然して初演では「池田亮です」と語る本人が池田亮であろうと信じた。そういう台詞であり演技だったのだろうが、かくも「己のこと」を語り、作者自身に見えてしまう芝居を、ここまで臨場感をもって演じる俳優、という存在を想定できなかった自分が居たわけである。敗北の過去を回想する芝居を、役者として応援する人間がいる、即ちその分だけこの作・演出には人望がある、という事が、ギャップであった訳だが、それは何とのギャップかと言えば、作者が書いた物語そのものとのギャップな訳で、私がそれを事実だと信じた所から既に事態は始まっており、正確に言えば「始められていた」訳である。

    身長150cmの「俺」は、「弟兄」では語り手・池田が高校時に友人となる相手(より苛酷なイジメに遭っていた)になっていた。作者の化身と信じて観ていた登場人物のモデルが、必ずしも作者本人ではない可能性が2作を短期間に見比べた事で出てきた。
    しかし「姿」にも登場した母と言い、書かれるディテイルは作品を効率的に高めるべく選択され創作されたものとはみえないのは確か(これも技術か)。
    という事で、これまで観たゆうめい3作いずれも個人史を素材とし、言及の対象は過去の「事実」である可能性が高い、あるいは「事実」という態の芝居である。
    だが普通そうであるように、事実に拠る限り「それ」について語るほどにリアリティは増すもので、ゆうめい的劇世界はそのようにして創られ続けるのだろう。と、今は思う(否、思わされている)。

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    2020/03/16 03:52

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