満足度★★★★
非常に静かなお芝居だったことが印象に残っている。
音が少なく、客席の呼吸音までもが邪魔になるほど。だんだんと舞台に入り込んでいくと客席まで静かになっていた。が、この種類の作品では仕方のないことなのだけど合わないかたは眠くなりますよね…寝息に苦笑した時間がありました。
M0はマリ・キュリーの祖国ポーランドを意識したのかなと感じさせるスラブ系のメロディ。開幕するときにだけ舞台のある場所が輝きます。ラジウムのあかりを意識しているんだろうと分かります。そして舞台美術はまさにラジウムを取り出すために大量に必要だったといわれる岩石をイメージしたんでしょう。
しかしこういった知識がある観客には、この作品は物足りなかったのでは。
古川作品はわたしにとって2作目であるが、2作とも”ちょっと足りない”。
ただし今作では女優・山像かおりがその脚本の不足を補って余りある力を発揮していた。これこそが演技だと感じさせてくれる。冷静と情熱、マリ・キュリーの信念を感じさせてくれる。舞台の上で生きて死んだことが実感できた。
理系の知識が無いことでこの作品の観劇を忌避する必要は無い。
ひとりの女性の生き様を受け取る貴重な観劇になるだろう。
とはいえ、あまりに淡白、さらっとしすぎている感じもあって物足りない。
ただの伝記になりかねない、というか、ほとんどそうだろう。どこかで古川さんご自身がこの作品について「あまい」と記述されていたのはその通りと感じる。
☆は4つとさせていただく。
ところで山田延男について。
この名前は知らないと思ったし、お芝居を観て「そんな都合良く作って」なんて思ってしまったが。どうやら近年(ここ25年ほど)ご子息によりきちんと調べられ、ほんとうにキュリー夫妻の長女イレーヌと共同研究をし論文を発表していること、帰国後もやりとりがあったこと、初めて知ることとなった。空襲により史料が焼失してしまったことは残念である。
天才たちは相次ぐ体調不良を放射能の研究によるものと当然考えたが、証明は先のこととなる…そこに絡む感情も、山像かおりさんのマリ・キュリーはしっかりと表現されていたと感じる。
放射能の名付け親たる「キュリー夫人」を語る作品を3.11に解禁すること、その意義、挑戦には敬意を払いたい。(もちろん、新型ウイルス禍の中公演を実施くださったことにもだ)
100年前の言葉が突き刺さる。
人間の知は、未だ彼女が名付けた”息子”を制すことができない。