満足度★★★★
昨年名前の頻出した福田善之(サルメCとの『オッペケペ』/新人会『新・ワーグナー家の女』/Pカンパニー『一人芝居「壁の中の妖精」』)いずれも旧作だったが、今回は齢八十九にして新作を作・演出。混迷の幕末を切り開いた(らしい)志士の一人坂本龍馬と盟友中岡慎太郎の暗殺(近江屋事件というらしい)に照準したお話。取材記者とその上司風の現代男女二人の語り手は物語の「現場」に近接し、「今」にこの事件を再構築しようとのコンセプトが冒頭から小気味よく展開していた。
フォーカスは中岡慎太郎の方だが、しっかり登場する龍馬を演じた客演者は身の置きどころ(演じ方)を得ず、妙にヒロイックに振る舞うなど迷走していた様子。前半気になって仕方なかったが気を取り直して後半(休憩有)。
舞台は疾走感の中、語られる言葉を吟味する間もなく進む。時代と併走しながら人は物を考え、身の振り方を定め、事を為す他ない事実を近江屋事件の「時間」を再現して味わおうという趣向か。彼らにとっての悲劇が如何なる意味で悲劇か、そうでもないか、作者なりの眼差しを汲み取ろうとしたが、手垢のついた評を避けたのか。しかしある種の気迫のようなものは舞台に流れ(こちらも想像を逞しくし)、正体のよく判らない塊そのままを受け止め、帰路についた。
時代モノだがエレキベースとギター、ドラム3名の生演奏(監修:日高哲英)が効果的。プロテクトソング(ダンス?)としての「えじゃないか」(えやないか)が変奏されるフィナーレでは、重奏で聞き取れない歌詞は残念であり、この掛け声が二人の志士の生き様ともう少し響き合わせたかったが。。
出だし以降小気味よい自由な台詞運びは、前衛というより自然体に書きつけられたこの雰囲気、思い出せば別役実の最新作(下北B1でやった、昨年だったか)を思いだ出させた。