満足度★★★★
同僚同士のとんがった衝突、衝撃的な場面、引き込まれる語り、美しい思い出。そうしたいい場面の数々がある。と同時に、見終わってこれは何を描こうとしたのかと、コレというメインテーマを言いにくい。少し変わったタイプの芝居である。
第一に全三幕のうち、一番の衝撃は一幕の終わりにある。後の二幕はその後日譚で淡々としている。三幕を大きなクライマックスにすべきというセオリーに反している。
第二に、主人公がいない。三幕を通して出てくる人がいない。雑誌者の上級編集者?のナンシーが唯一全幕に出るが、彼女は脇役に過ぎない。脇役なのに、一番美味しいところを持っていく。そのストーリーに、部下やサポート役の苦努力も全ては、ただ地位が上だったというだけの幸運な人の功績になるという皮肉が込められているかもしれない。
第三にモノローグが多すぎる。「ハムレット」の時代でもないのに、現代劇でこのモノローグは禁じ手に近い。そこを見せ場にして引き込むのは、相当の確信犯である。
大事件の生き残りたちの語ることが、それぞれに食い違うのは、芥川龍之介「藪の中」と同じ主観の不確かさ、個々の語りの信用のなさを語ると言える。ただそれでは一般的すぎる。このシチュエーションにもっと踏み込むなら、一番の当事者(校閲部長ローリン)の証言はもっともないがしろにされ、最も事件から遠い者(編集者ナン)の回想記が最も成功を勝ち取るという、商業マスメディアの歪みだろうか。
一緒に見た友人は、事件を起こしたグロリアにしろ、ローリンにしろ、縁の下で日の目を見ない、黙々と働く労働者たちの鬱屈を指摘していた。彼らもストレスで歪められているが、その根底にはピュアな心根の普通の人なのだと。テレビ局での臨時社員の扱いにも同様の構図が見られた。