期待度♪♪♪♪♪
日本における演劇活動は自由たるべきだ。その意味で、予定されていた公演が直前になって中止され、「公開する権利」を奪われたことは誠に残念である。地方で演じられて東京で叶わない理由はない。
そもそも、日本で林立する小劇場の大多数は予算の都合上、消防法に違反している。周知の事実である。避難口の用意されているのはレア・ケースであるし、空間に対する収容人数も 過剰だろう。こういったハード面では改善する余地があり、介入をさせてはならないのは表現者の方である。
しかし今般、世田谷区のシアター・トラムにおいて消防局の「指導」が かかったのは、ひとえに劇場側の失策であったと思っている。つまり、これは所有する区に転嫁させて構わない。私は初演時の作品を観ているが、寺小屋のような建造物を戴く、配置する、実に大がかりなものであった。架空の宗教儀式を「参加者」と執り行い、中心にいる役者陣のエクスタシーなる感覚と共振していくのである。
生の火を灯すのは事実だ。ハーブを吹込み、スパイスの効いた香りが支配する。そして、高温に達した空間から汗が放たれる。五感をフルに用いる、新興宗教の誕生と呼べる、伝統の概念を捉え直す、極めて異形の舞台だった。
その「再現」であり、劇場側に対して 事前説明していたのであれば、話が消防局に伝わるのが不自然だ。おそらく興行するにあたり劇場内部で安全に関する指針がなく、揺れ動き、お墨付きを与えもらう意図で行政間の連絡を図ったのが ことのほか真相だろう。
私は世田谷区パブリックシアターの体制には批判的だが、客観的に述べて やはりドタバタしているとしか言いようがない。「指導」を仰ぐくらいなら契約の段階で貸し出さなければ良かったのだ。1年以上前で、だ。チケットを販売した後に「中止」させるのは劇団及びファンに対する背信行為である。
責任は保坂区長にも及ぶだろう。私も過去の事案では被害者である。隣のパブリックシアター公演時、二幕について途中から入ったのだが、座席は自身のではなかった。しかしながら複数のチケットを有していた友人に割り当てられていた座席であり、問題はない。了承済みだ。友人も その場にいた。そこを活用させてもらったのは反社会的精神疾患を抱える女性客の前を通ってトラブルになるのを避けたかったからである。
だが、スタッフに大声で説明するわけにもいかず(上演中だというのに わざわざ友人に承諾をとる パフォーマンスまでした)要領を得なかったのか、ブラックリストに登録されてしまった。むろん冤罪だ。
だから私は因縁があり、今般の事案も「ありえるな」と思う。いっそ民営化すればいい。