満足度★★★★
international ver.を観劇。過去に触れた東京ノートの「編曲版」(2本)よりもオリジナルに近い事がうかがえ、平田作品の中でも高クオリティたる所を感知した。「静かな演劇」興隆の起点となった代表作を放置していた不勉強を自戒。だがまだオリジナル版は観ていない訳である(観劇するつもりだが、さて..)。
このバージョンの評価すべき点は、帰属国(地域)の多さだ(台湾・韓国・タイ・フィリピン・ウズベキスタン・ロシア)。登退場は整理されているがブツ切り感は無く同一空間を共有し、共存し、世界的広がりの中にある我らがニッポンを意識させた(韓国人の比重がやや軽め、他、語り切れないものは多々残したにしても)。
美術館のロビー(展示スペースは別にある)には登退場ルートが上手下手各2、計4箇所あって(セミ)パブリック性高く、終盤日本人の親族らが漸く揃ってプライベートな会話になる所などは「美術館でそういうノリ?」と若干訝ったが、概ねリアルに収まっていた。
印象づけられたのは俳優の「演技」。従来の平田オリザ演出舞台の俳優の印象は、舞台を構成する一機能として存在する抑制された佇まいであったが、これは戯曲の要請なのか何か別の要因があるのか、キャラクターと不可分な微かな心情の動きが舞台上に覗いている。如実にそれを感じさせたのは松田弘子演じる「長女」であったが、その長女と他の家族を待つ時間の仲良しな話し相手である義妹(能島瑞穂)や、佐藤滋演じる男等も、陰影が深く脳裏に刻まれた。
思い出せば、随分前に観た平田オリザ演出・松田正隆作「夏の砂の上」は衝撃で、戯曲の音譜を正確無比に再現したかのようであった。感情面も正確無比を期したのだろうか、とすればどのようにして・・。今回の演技の温度の通った印象は、それと通ずるのかそうでないのか。
・・回ごとに異なる範疇の現象を大層にピックアップしてるだけかもだが、台詞に裏づけられて行くキャラと、心情が溢れるような長女の動きには凝視させるものがあった。