「日曜日よりの使者2019」 公演情報 feblaboプロデュース「「日曜日よりの使者2019」」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    鑑賞日2019/11/23 (土) 20:00

    「あちら」と「こちら」を繋ぐ場所で紡がれる
    二つの旅立ちの物語。
    詳細はネタバレBOXにて。

    ネタバレBOX

    feblabo X 羊とドラコさんの『日曜日よりの使者』『いまこそわかれめ』。

    別々に感想を書こうかと思ったけれど、これは一緒の方が良いかなと思い直したので、
    まとめて書きます。

    2本合わせて75分。
    非常に簡素なセットと、照明機材。
    そして、わりと少なめな座席と、少なめな割に中央に通路まで確保されており、
    小劇場特有の、あの濃密な空間とはちょっと空気感が違った。

    主宰である池田さんの丁寧な誘導に始まり、ゆるっとした前説。
    ガツンと劇場の空気を上げるのではなく、ほんのり、じわじわと上げていく感じが
    とても心地よくて、本編の内容も相まって、終始、非常に温かい空間だった。

    今回上演された2本は再演とか再々演とかそんな感じらしい。
    ちなみに私は2本とも今回が初めて。

    というわけで真っ白な気持ちで観劇させて頂いたが、いやー、何というか、言葉にするのが
    難しい楽しさだった。

    新鮮な体験ではあったんだけれど、うーん、どう表現したらいいものか。

    取りあえず、本編の感想を書きながらつらつらと。

    ①『いまこそわかれめ』

    開演5分前くらいから大和田さん演じる諏訪が席に着き、本を読み始める。
    それを横目に…すらしない感じで前説が入る。

    あぁ、こういう入り方大好き・・・とその時は思ったけど、もしや、この
    「横目にすらしない」というのも既に演出の一環だったんだろうかと書きながら思った。
    もしそうだとしたらすごいなぁ。ひー。

    本作は、卒業式を終えた諏訪と桐場が、なじみの喫茶店で「仰げば尊し」を読み解きながら
    談笑していく。
    大和田さんは『じゅうごの春』以来のお姿拝見だったけれど、全然、あの時とは
    違うなー、すごいなー、歌上手いなーなんて思いながらのんきに観劇。

    対する桐場を演じる塩原さんは、かっこいいなぁ、でも高校生にはちょっと見えないよなぁ
    などと、こちらものんきに観劇。

    読み解きが進み、ついにタイトルの「いまこそわかれめ」の解釈。
    さー、来るよ、なんか来るよと右の脳で思いつつ、左の脳で「いまこそわかれめって
    そういう意味なんだ」などと思いながら、舞台上での有事に備えて待機する。

    ところがである。

    なんかちょっとしんみりした感じにはなったけど、諏訪は出て行ってしまった。
    トイレかと思ったが、全然戻ってこないし、残された桐場は泣いているではないか。
    しかも、結構長い間。

    私、大混乱。

    何が起きてるんだこれは?と思いながら、真っ先に頭に浮かんだのは、ざっくり言えば、
    桐場は失恋したんだろうかということ。

    いやいや、それだと全然話のつじつまが合わない。
    なにこれ、なにこれ、なんだこれ??

    と思っている間にお会計のシーン。
    そして、桐場も店を出て、ついに本編も終わってしまった。

    ひー!?なんだこれ???

    余りにもわからなすぎる。
    ただ、本編が始まった時から、所々に違和感を覚える箇所はいくつもあった。

    例えば、桐場が店に入ってきたとき、諏訪が先に待っているにも関わらず、
    なぜ、
    「あの席で」
    という言い方をしたのか。

    店員はなぜコーヒーとオレンジジュースを桐場の側にまとめておいたのか。

    卒業したばかりなのに、
    「もう大人なんだから」
    と諭す諏訪。

    微妙に噛み合わない、会話の中の時系列。

    学ランなのになぜか締めているネクタイ。

    「ん?」と思いつつも、どれもこれも、無理やり解釈できないことはなかった。

    席のくだりは、私はてっきり「連れがいるんで」的な言い方をするものとばかり思って
    いたので、桐場の表現に違和感は感じたが、まだ、この時点では桐場という人物の人となりも
    分からないので、この人はこういう人なのかもしれないと思ったし、コーヒーについても、
    気が利かなそうなじいさんだから、こういう置き方するかなとも思ったし、高校生にとっては
    卒業した時点で大人と思うこともあるかなと思った。

    ただ、やっぱり、どうにもそれでは説明がつかない。

    結局、分からずじまいで帰宅して、うーんと思いながらTwitterを眺めていたところで、
    とある方の感想ブログにたどり着く。

    ちょうど前日に同じ演目をご覧になっていて、その感想もネタバレと共に書かれていたので、
    読ませて頂いて、ようやくわかった。

    桐場が締めていたネクタイは喪服のネクタイ。

    私、これ全然気が付かなかった。
    だから、喫茶店の店員もハマオなのかー。
    うわー、ひー、まじかー、すげー。

    私、このブログ書いてくださった方に、感謝しないとですよ。
    そうでなかったら、絶対に分からずじまいだったと思う。
    すごい慧眼。そこに気づくことができる感性が素晴らしい。

    そういう前提で振り返りをすると、色々なものが腑に落ちてくる。
    この時、台本に初めて目を通したのだけれど、やっぱり、その解釈ですんなりと
    理解できる。

    ただ、ブログを書いてくださっていた方も指摘しておられたが、台本に書かれているのは、
    今回の公演のものとは別Ver。
    台本のVerだと、より一層、気づかない気がする。
    私は無理。絶対に無理。

    とは言え、である。

    細かな部分に関しては、観客の側にまだまだ大幅に想像の余地が残されている。

    そもそも、この喫茶店は現実に存在しているものなのか。

    『日曜日よりの使者』に登場する喫茶店に生きている人間は登場しない。
    ただ、リクオは死んだことを自覚していないことを思うと、この喫茶店は
    あの世とこの世の間、言ってみれば三途の川のほとりにでもあるイメージなんだと思う。

    『いまこそわかれめ』と『日曜日よりの使者』はもちろん全く別の作品。
    作品同士の関連はないのだけれど、この二本が同じ日、同じ時間帯に演じられたことを
    踏まえると、私としては、同じ世界の軸線上に位置すると思いたい。

    だからこそ『いまこそわかれめ』の舞台である喫茶店はハマオが営んでいるのだと思う。

    私にとって、この喫茶店は、この世を旅立った者を、あの世へと迎え入れる場所である。
    もう少し、踏み込んで言うのであれば、成仏しきれない者を、あの世へ連れていくための場所
    ではないか。

    諏訪はもう間違いなく死んでいる。
    けれど、彼女がこの喫茶店にとどまるのは、彼女への思いを断ちきれない桐場の思いが
    あったから…なんだろうか。

    諏訪に対しての願いを聞かれた桐場が「卒業」と答える場面がある。
    この部分、本編を観ていた時も、台本を読んだ時も、ちょっとよくわからなかった。

    初めは諏訪が死んだのは在学中だったので、卒業させてやりたかったという意味なのかと
    思ったが、彼女は仰げば尊しを歌ったと言っているし、卒業証書も持っているし、
    何より諏訪自身が、桐場の答えについて「したよ」と答えている。

    仰げば尊しの解釈の中で、彼らは「卒業」を「もうここにいちゃだめ」と定義する。
    桐場が諏訪に対して求めた「卒業」、彼が指し示す「ここ」とはこの喫茶店ではなかったか。

    この世に対して執着し、あの世に旅立つことを拒んでいたのは、他でもない諏訪自身で
    あったように思う・・・んだけれど、これは桐場も然りなのかなぁ。

    多分、諏訪が死んだのは卒業式の直後なんだと思う。
    会計時のアルコール云々のくだりからすると、桐場はもう成人しているから、最低でも
    諏訪の死後、3年は経っている。大人云々のくだりからすると、個人的にはもう少し
    経っているような感覚はある。

    諏訪は死んでいるので当然、もう年は取らない。
    けれど生者である桐場は年を重ね、そして、その思想、思考も成長していく。

    「あたし、今を生きてっから」
    「私が知ってる桐場より、頭がだいぶ良くなったみたい」
    という諏訪のセリフは、二人の境遇を如実に表していて、残酷ですらある。

    若くして死んだ諏訪の無念は決して晴れることは無い。
    桐場とて、親友を若くして失った悲しさ、無念さ、憤りはあったろう。

    言ってみれば、諏訪の魂が、あの世とこの世の間にとどまることは、双方にとって
    都合が良かったのかもしれない。
    どんな形であれ、お互いに会うことが出来るわけだから。

    ただ、日々成長を重ねる桐場は、親友が成仏できていない、その歪みに気づいたの
    かもしれない。

    今年こそ諏訪を成仏、彼女の言葉で言えば「卒業」をさせようと、意を決して
    店のドアを開けたのが、この物語の冒頭だったのかもしれない。

    いずれにせよ。

    諏訪はついにあの世へと旅立つことを決意する。
    彼女は桐場に対して弱いところは見せない。
    それは強いということではなく、弱いところをみせまいとする強がりなのだと私は思う。

    仮にこの世に対しての執着が、彼女の中だけにあったとしても、彼女はその強がりで
    桐場に執着心を転嫁していたのだと思う。

    きっと高校在学中は、強がるまでもなく、彼女の方が精神的にも強い立場だったような
    気がする。

    けれど、桐場だけが年齢を重ねることで、いつしか、横並びになり、越されてしまった。
    桐場は、そんな諏訪の強がりを知っていながら、それを黙って飲み込んだのかもしれない。

    「今、は、わかれましょう」

    諏訪が語った最後の言葉。
    いつかの再開を示唆したこの言葉は、桐場だけでなく、彼女自身に言い聞かせるための
    言葉であったようにも思う。

    そう思うと、最後の長い嗚咽のシーンの演出は素晴らしすぎる。
    名作すぎんか、これ。

    私、本編観てるときに、諸々気づかなくて正解だったかもしれない。
    何もかも分かったうえで観てたら、これ上演を妨げるレベルで声に出して泣いちゃう。
    もう、シアターミラクル出禁になっちゃう。

    まぁ、でもねー。
    全部は無理にしても、もうちょっと本編観てるときに気が付いておきたかったな。
    我ながら、感性の低さが憎い。
    クリスマスプレゼントは感性を希望です。

    さてさて、最後の会計のシーン。
    1000円払ったところでなぜか返される200円。

    これ、本編観てるときは、何もわかっていなかったので、じいさん、しょーがねーな、
    くらいにしか思ってなかったんだけど、事ここに至ってみると、何かしらの意味があると
    しか思えない。

    思えないんだけど、これがどうにも・・・

    今のところ、思いつくのは、無事に、諏訪をあるべきところへと送り出してくれた桐場に
    対しての、心ばかりのお礼なのかなというのはあるけれど、ちょっとパンチが弱い気も
    するしねぇ。

    宿題にします。
    鈍い感性でもう少し考えます。

    ところで・・・この感想の始めの方で、
    「塩原さんが高校生に見えない」
    と書いたんだけど、そりゃそうだよね、だって劇中では高校生ではないんだもん。
    微に入り細を穿つ演出に脱帽。神がかってる。

    とにかく、素晴らしい作品でした。
    感想書きながら、号泣です。

    ②『日曜日よりの使者(東京版)』

    というわけで、ようやく、こちらの感想です。
    思いのほか、長くなってしまって、やっぱり分けて書くべきだったかと、ちょっと反省しております。
    すいません・・・

    さて『いまこそわかれめ』をちっとも理解できないまま終わってしまい、しょんぼりしているところで
    本編スタート。

    こちらはと言えば、比較的わかりやすく、頭の悪い私でも、そこそこすんなり、リアルタイムで
    飲み込めました。やったぜ。

    とは言え、恥ずかしながら途中まで、堀さんと池田さんが果たしている役割に気づけなかった。
    どのタイミングで気づいたのかは覚えてないけれど、お二人で音楽、効果音を担当されてるんだと
    気づいてテンション爆発。

    だから、この演劇は照明以外は一切、電力を使用していない。

    超究極のアナログ劇。

    着替えも目の前、演奏も、効果音も、全てが観客の視界の中で行われる。

    これはねー…

    ちょっとビックリしました。
    きっと大昔の演劇って、こんな感じだったんだろうなって思う。
    だから、新鮮って言うと、ちょっと語弊があるというか、自分でも違和感のある言葉になって
    しまうんだけど、とにかくすごいとしか言いようがない(語彙力)。

    本気で感動したのは、競争のシーン。
    この臨場感というか、3D感(?)はホントにすごかった!

    あんな狭い舞台だから、全力で50メートル分も走れるわけがなく、足踏みに近い形で、
    ちよっとずつ前に進んでくるんだけど、そこでまず抜きつ抜かれつを演出。
    その後、弧を描くようにして、斜めに進んでくるんだけど、ここの臨場感!!

    私は入り口に一番近い後方の列に座っていたので、私の方に向かってくるような格好。
    その位置が良かったのかもしれないけれど、いや、何しろ、あれはホントにすごかった(しつこい)。

    デジタル全盛の時代にあって、一切の機材を使わずに、身体一つで、あんな風に表現が
    出来るんだってことが、驚きであるよりも、嬉しかったなぁ。

    これこそが、演劇、小劇場での演劇における醍醐味なんじゃないかって気がした。
    野外劇だったら、もっと面白いんじゃないかって、観ている時に一瞬思ったんだけど、
    野外だと情報量が多すぎちゃって、没入感がきっと薄れちゃうんだろうなぁ。

    このほぼ何もない簡素なセットだからこそ、我々観客は、色々なものを想像して、
    この世界に飛び込むことが出来るんだと思う。

    観客との一体感もすごく良かった。
    共謀カモメ、じゃなくて狂暴カモメ(あながち間違いでもない)襲来のシーンも、
    私は後列だったので、軍手カモメ組にはなれなかったけど、ちゃんとこっちまで
    来てくれて!
    しっかり襲わせて頂きました。

    大和田さん、塩原さんもカモメになって登場してくれたのは嬉しかった!
    複数班による短編集だからこそのゲスト参戦!
    このお祭り感が、すごく楽しい。

    で、最後は主宰扮するボスカモメとの対決。
    しかも、それを相撲でって言うね(笑)。
    あんなに劇場で笑ったの初めてかも。ほんと楽しかった。

    また、島田さんにしても萩山さんにしても、盛り上げ上手なんですよね。
    アドリブなのか、織り込み済みなのか分からないけど、堀さんに絡んでみたり(笑)。
    めちゃくちゃ暖かい公演だった。

    かと思えば、開演前にレーズンチョコを渡して、劇中でそれを一緒になって食べて
    ちょっとしっとりさせてみたり。

    演奏、音響がオール生音って言うのも素敵。
    ギターでの生演奏、池田さんが鳴らす道具を使った効果音。

    私の席からは、舞台上の役者さんよりも、むしろ、袖にいる池田さんが一番よく
    観えたんだけど、波の音を鳴らしてくださっているのを観て、
    「あぁ、そうそう!波の音ってこうやって鳴らすんだよね!!」
    と思いながら、感動していた。

    なんか、姿を敢えて見せることで、そうやって感動させるのも、何もかも計算づく
    なんだろうなぁ。
    『いまこそわかれめ』にしてもそうだけど、神がかってるというか、もはや悪魔がかった
    演出。
    すごすぎんか、マジで。

    演出面でもすごかったけど、もちろん、役者様の演技もすごかった。すごすぎた。

    もうだって、島田さんも萩山さんも汗びっしょりだもん。
    まぁ、そりゃ、あれだけ動き回ればそうなんだけど、なんかねー…あの汗だくの姿が
    感動的に美しいなぁって思いました。

    あぁ、今、目の前でこんなに一生懸命、すごいものをみせて頂けてるんだっていう感動。
    役者様に対しては、いつも、感謝の気持ちを持っていたいと思ってるけど、この公演では
    それを、一層強く感じた。

    書きながら色々と思い出してるんだけど、ホントに楽しかった。
    ニヤニヤしちゃう。

    そんなこんなで、終始楽しく、本編は進んでいくんだけど、最後はやっつけられたなぁ。

    だってリクオ死んでるんだもん。

    この部分の一連の二人のやり取りがとにかく秀逸だった。
    ハマオの慈愛に満ちた声掛けが、本当に素晴らしくて、もう無理、号泣。

    「1回なってみたかったの。じじい」

    明るく言うんだけど、これ、結構重い言葉だよなー。

    「安心しろ、蒲団の上だ。安らかだったぞ」

    ここもねー…
    ちょっと私の語彙力では表現できない。
    でも、なんて優しい、慈愛に満ちた言葉なんだろう。
    このシーン、大好き。

    そしてめでたく終演。

    池田さんのゆるっとした後説と、それにツッコミを入れる役者様方。
    もうほんとに、最初から最後まで温かい空間だった。
    75分とはとても思えない、素晴らしい時間だった。

    そういえば、スタッフの方に見覚えのある方がちらほらと・・・
    間違ってるといけないから、お名前は出さないけれど、もしも、ご本人たちだったとすると
    思いがけないところで、お姿を拝見できて嬉しかったです。

    とても幸せな時間でした。
    劇団の皆様、役者の皆様、素晴らしい舞台を本当にありがとうございました!!

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    2019/11/25 00:33

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