世界はあまりにも 公演情報 劇団 脳細胞「世界はあまりにも」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    鑑賞日2019/11/20 (水) 19:30

    座席2列

     冒頭1冊の小説が紹介される。ミステリーかサスペンスらしいのだが、ある1人の女性が自殺か他殺か分からないが死亡した。その死因を巡って「根源的欲望」についての会話がなされる。
    人間には根源的な欲望というものがあり、裸になりたいといった馬鹿馬鹿しいものから、人を殺したいといった物騒なものまで、それは千差万別である。しかし、その根源的欲望に安易に身を任せてしまうと人は生活に支障を来すので、反社会性が強い欲望、あるいは自身の生存を危ぶませたり(例えば自傷癖)、犯罪性のあったりする欲望(例えば盗癖)であればあるほど、強い制御心でそれを抑え込んでいる。しかし、この根源的欲望が、他人に憑依したらどうなるのか。制御心がない状態であるから、簡単にその根源的欲望に身を任せてしまうだろう。
    実はその女性が死んだのは、ある人間の自殺への根源的欲望が憑依した、あるいは人を殺したいという権限的欲望が他者に憑依したということがわかってくる。
    実はこの小説の内容自体が、本来この舞台「世界はあまりにも」の原型だったらしい。(と、パンフレットに書いてある)
    しかし、この舞台のストーリーは全く違うものとなった。(顛末はパンフレットをご覧ください)

    そもそも、この「根源的欲望」が憑依するといった逸話がこの舞台本体のどこにフックしているのかわからない。2つの家族の話なのだけれど、誰かの「根源的欲望」が誰かに憑依しているとは思えないし、、、、、

    ある富裕な4人家族(A)が、毎年2週間だけ別荘で過ごしている。夫婦と長男、長女。この別荘には、電話もテレビもなく、携帯の電波も入らないので、車で移動する以外には外界との接触が全く断たれている。長男の友人が、家事の手伝いのアルバイトとして同行している。
    そこに、車が故障した4人家族(B)が助けられるように別荘に招かれることから話は展開する。こちらの家族も夫婦と長女、長男(子供の年齢序列がAと逆)の構成である。
     外では、台風一過による大嵐、外界と隔離状態のその一夜の物語である。

    ネタバレBOX

    とにかくこの舞台、いろいろなところでフックを掛けてくる。怪しい気分が満々なのだ。
    例えば、開演まもなく、それまで塩らしくしていたBの家族、その父親がAが大きな養蜂所を持ち、高級蜂蜜を売買して儲けていることを知ると、まるで人格が変わったように、それをフランスにおける移民搾取と同じだと言い出し、別荘に飾られている絵画や装飾品について文句をつけ始める。すわ、この男は感情の抑制が効かない精神分裂者かと思わせ、一気に緊張感が高まる。
     その後も、Aの父親は、Bの父親やBの母親に、盛んに一夜の夫婦スワップを促す。Aの長男の友人は、一見従順でまじめそうだが、Bの父親の前では、Aの家族のいないところでは傍若無人の振る舞いをしていることを吐露する。Aの長女の誕生日を間違えて、プレゼントとケーキを持って、嵐の中車を走らせてくるシャンソン歌手が登場。失業中で、徒歩での日本縦断をしており、別荘の軒で倒れていて助けられた男は、Bの父親に犯罪者呼ばわりされて激昂して別荘を後にする。その男を人家のあるところまで送るという、かのシャンソン歌手。軒下の男を追い出したBの父親を褒めちぎり、自分の会社で重役待遇で受け入れるというAの家族。Aの子供たちは、Bの子供たちに偽装誘拐を持ち掛けて、、、と。
     何かがすでに起きている、これから何かショッカーが待ち受けている。そんな気配まんまんで一夜明けると。

     はい、夢落ちですと言わんばかりに、何事もなく終わる。Aの長女は愛しい方に会いに外出。他の家族はスペイン大使のパーティにご招待。別荘に残されたBの家族は、車の修理を待ちながら長居を決めるのだけれど。

     あれ、Aの長男の友達はどこいったの?舞台の終焉と共に、その後に惨劇が待っているのかな。

     「世界はあまりにも」この後に続く言葉は何なのだろう。

    0

    2019/11/21 17:23

    2

    0

このページのQRコードです。

拡大