満足度★★★★
フーダニットというジャンルは日本では定着しなかったが、時には井上ひさしや、三谷幸喜のように、このスタイルをさりげなく使った舞台が現れる。
フランスでは、この作者トマの「罠」が知られていて、今でも、日本ではしばしば上演されるが、「八人の女たち」は、それほどでもない。この作品が書かれた時代(61年)にはフランスでも、大衆演劇と、演劇とははっきり作者も劇場も分かれていたそうで、そこはわが国も同じようなものだ。03年にこの原作を映画化したとき、監督のオゾンは、そんな古めかしいのイヤ、と言う主演のカトリーヌ・ドヌーブを説得するのに苦労したと、映画の特典映像で語っている。結局、オゾンの映画は有名女優8人を並べて、フランスの歌謡曲を全員に一曲づつ歌わせる音楽劇という趣向を入れた、言わば「お盆映画」になった。
殺人事件をめぐる謎解きはフーダニットの形式としてよく考えられているし、そこにいかにものフランス女の世態も組み込まれていて面白がってみていればいいのだが、物語のリアリティは全くない。クリスティの芝居よろしく、一夜、雪に閉じ込められた豪邸で、大金持ちの屋敷の主人が、殺される。屋敷の中には主人にさまざまに因縁ある八人の女がいて、さて、誰が犯人か。フーダニット? 典型的な犯人捜しのお遊び劇で、趣向があって初めて興行として成立する戯曲だから、今回のようにストレートに舞台に乗せると苦しい。プラスワン、いや今ならプラス5くらいは要る。
主に声優の俳優を集めた舞台で、セリフがよく通って聞きやすいのはいいのだが、そういう役者を舞台に上げるのは、本人にとってもフラストレーションになるのではないかと思った。セリフを言っている人以外はほとんど棒立ちだ。この欄にも、あっさりしている、という「みてきた」があるが、それはないものねだりの無理な注文なのだ。
かつては、フランスの大衆劇場で客の入りが悪くなると、女優を集めて再演した当たり狂言だったというが、今見ると、フーダニットというジャンルが劇場から消えていったのも解る気がする。翻って、今しきりに上演している漫画などを原作にした2、5ディメンション。こちらも大丈夫かなぁ。