満足度★★★★★
西山水木演出もさりながら岩野未知推しで観劇。女性の書き手だが骨っぽい作品のようだとの予想通り、否、予想を上回った。冒頭、幸徳秋水家で新たなお手伝い・百代(牧野未幸)をスガ(岩野)が迎えるシーン。スガは勿論その生き様を見つめられる存在であり、百代は見つめる側(ナレーションも担う)であるが、会ったその日にスガの事を「お母さんだと思った」事の判る一分足らずの凝縮したやり取りから、芝居に釘付けになった。
管野スガの名は、「日本文学盛衰史」にそう言えば出ていたと観劇後に思い出した。大逆事件で死刑囚となった紅一点。革命にも事件にも女有り。
男はだらしなくマザコンで甘えん坊だが、彼らが世の中を回している。実母を亡くし親類の家で苛め抜かれたスガは、今この時、恋をする。その相手・荒畑寒村(井手麻渡)、両者の思いを察し、再度二人を引き合わせる手回しはスガの実妹、肺病病みだが好奇心旺盛で寒村を慕う秀子(葵乃まみ)の計略。「スガを見つめる」もう一人であった秀子はやがて亡くなるが、思う合う二人の恋は成就する。恋と言えば百代の方は楽しく働く編集室で、同志となる新村(岩原正典)と出会い、互いに同じ年恰好、相手の中に己の未来を見て、手を振り合う仲に。だがその次の瞬間には主人たる幸徳(成田浬)の欲情の贄となる。風呂敷包みを抱えて実家へ帰る百代と、折しも訪れた新村がすれ違うシーンは一際抒情的に描かれる。西山演出は男女の心の距離感と息遣いを細やかにリアルに、また見事に象徴的に表現する。この本は言論の闘いや主義への情熱と不可分に絡み合う「女と男」の存在をありありと生き生きと捉えている。性(の痛み)を抜きに正義を語る勿れ・・。
スガと結ばれた荒畑は程なくスガを「ねえちゃん」と呼ぶようになり、やがて苦節の中でスガに母性を求めるかに見え始める。スガは母性と優しさを持つが、それは広い視野と行動する誠実さに裏打ちされた優しさであり、相手の願望に従うのでなく己が生きる選択とする。全き自立、良い意味での自己中心が、幼少時からの徹底した「否定」を潜った故だろうかと考えると、複雑な思いになる。
この本ではスガはこの時代に生み落とされた得がたい、宝石のような存在と描かれるが、その内実は彼女が自身を肯定し、表出している事から来ている。男は押しなべて彼女に大なり小なり依存的となる。だが彼女が向かい合った相手の人格を認めた瞬間、相手も輝く。そうした関係性も連想される。
歴史上の彼女の事を私は知らないが、岩野未知という俳優の体を得て具現した管野スガ像には愛おしさを覚え、世界に歴史に存在する(した)こうした女性たち、そして男たちの事を人類の記憶に刻んで行くことの貴重さを思わせられる。