満足度★★★★
TAK in KAATという地元劇団枠に、アマ劇団での上演をあまり聞かない鄭義信作品が登場。どう料理されるのか興味が湧いた。
戯曲に書かれたある状況での感情の迸りを精一杯演じ、見せ場をクリアしていた。が、限界のようなものも感じる。一つは戯曲そのものについて。鄭の在日三部作の一つとされるが『焼肉ドラゴン』も含め辛酸を舐めた先人と後の世代への継承の風景が美しく描かれる。素材は在日社会でも、ドラマには普遍性がある、悪く言えば一般的なのだ。笑いを必ず忍ばせる鄭氏だがこの「笑い」は共有される苦しみ悲しみが深いほど生きて来る。ただし苦しみがそこそこ程度でも笑いは成立するように書かれている。水面下の苦しみ怒り哀しみ辛さ、理不尽な思い、絶望・・鄭氏はそこに光を当てる事に拘泥しないが、台詞以前の人物の存在そのものから滲み出るものがリアルの、引いては笑いの土台になる。要は「難しい」戯曲には違いないのである。
例えば民族文化を負った在日らしさ、制度的な限界、そこから来る諦観、人生観、炭鉱という環境、経済成長という時代感覚のリアルが、掘り下げられれば掘り下げられるほどに情感が満ちて来る。芝居として一応成立するラインから、その先の厚みをもたらす伸びしろが長いタイプの作品という事になるか。
今回のよこはま壱座の舞台は、しっかりした美しいセットと役者の頑張りで(役年齢とのギャップに慣れるのに時間を要したものの)戯曲が求めるものをクリアし、胸を突く瞬間もあったが観終えてみるとやはり「その先」を求めている自分を見出す。特にラストに掛けては(終わり良ければというように)ドラマ=人々の人生が集約されていく、あるいは俯瞰される地点に連れて行く何らかの作り方が見たかった。
部分的な難点を挙げればきりがないが、例えばKAATの特徴だが袖幕がなく役者がはけるのに時間を要し、しかも隠れる場所が見切れ、ラストで引いていくリヤカーは上段の上手奥へとはけるが、奥には行けないらしくそのまま置かれて見えてしまっていたり、土の道をカーブして舞台となる床屋が平場に立っているが床が黒の板張りで床そのものに見えて興醒めだったり。また初日のせいか下手袖の裏から声や物の接触音がクリアに聞こえたり・・。演技面も結構できているだけに、ニュアンスを捉え損ねた物言いが一つ挟まれるだけでも素に戻りそうになる。寸分も気を抜けない芝居である。
この演目に挑戦しここまでのレベルに到達した事に敬意を表するが、この芝居をやる以上はもう一つ上に行きたかったというのも正直な感想。