男たちの中で 公演情報 座・高円寺「男たちの中で」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    10月は一月に、二度、本年屈指の舞台に出会うことになった。それも合わせ鏡のように、一つは個人、今一つは社会から現代を見据えた翻訳劇、老若の優れた演劇人の仕事である。ともに、長時間が納得の舞台だ。
    「終夜」が、個人や家庭、夫婦(基礎集団)から世界を描いているのに比べ、「男たちの中で」は社会で生きる人間関係(機能集団)から現代を描いている。印象を三つ。

    テキストが強靭である。このテキストも八〇年代に書かれ、ウイキペディアによるとイギリスではなくパリで初演した作品のようだ。
    登場人物は六人、それぞれの役割が、シェイクスピアを下敷きにしたというが、非常にうまく書かれている。大企業が世代交代の時期を迎えている。創業の当主(龍昇)はなかなか席を明け渡そうとしない。主人公は養子のレナード(松田慎也)、つまりは現代のハムレットである。取締役会への参加を強く義父に求めるが拒否されると、義父の殺人を思いつき、それに失敗すると、乗っ取り相手のハロルド(植本純米)と手を組もうとする。こちらにも資金繰りに困っているという弱みがある。そういう状況を冷静に見ているライバル社(千葉哲也)もいるし、当主の身近で手ぐすね引いている秘書(真那子敬二)や脛に傷を持つ下僕(下総源太郎)もいる。
    登場人物たちは、いずれも個性的で人間味にもあふれているが、現代社会の走狗でもある。その中で、親子や主従をめぐる人間模様は下世話で面白い。この作品が書かれたのは、世間で「金融工学」というコンピュータ頼みの新しい金儲け戦略が表面化し始めて時期だ。手も早いし、よくポイントを掴んでいる。書かれてから四十年もたっているのに(テキストレジしてはいるだろうが)古びていない。
    日本でも社会構造の中の人間を描く若い作家が増えてはいるが、この作品のパワーには及ばない。世界にはすごい作家がいるものだ。
    第二は、演出の佐藤信。六十年代末から現代劇のリーダーの一人であった。作者のボンドは、演劇の検閲をめぐって官憲と対立した過去がある由だが、六十年代演劇は唐も、寺山も、佐藤信の黒テントも既成の権威(官憲)と対立した。その後、佐藤信は公共劇場の芸術監督を務めたり、小さな神楽坂の小屋にこもったり、演劇活動の場を広げた。いまは座高円寺。ここのところ新作がなく、焦点を見失ったかと恐れていたが、それは客の杞憂だったのだ。
    もともと芝居作りに凝る人で、黒テントでも三軒茶屋でも神楽坂でも、いいなぁと見た芝居はある(一方で大外れもあった)のだが、今回は直球一本、見事なテキストレジ、巧みなステージングで休憩10分を挟んで3時間20分を押しまくる。佐藤信、若い上村聡史に負けていない。ボンドのこの戯曲の発掘と合わせて、中年に及んで自信もついてきた小劇場の癖玉を使いこなして、老いを感じさせない仕事だった。
    第三は役者。これだけ癖玉がそろった舞台も珍しい。登場人物が全員男性だからメールキャストは当然でもあるが、それぞれ柄が立つ上に芝居もうまい。彼らが役者の個性をむき出しにして激突する。ごちゃごちゃした経済の話なのに格闘技のような一種の爽快感がある。全員男だから容赦なく面白い。特筆は植本純米だろう。花組芝居の次の立女形と期待されていた役者だが、そんな柄を吹き飛ばす快演である。
    芝居の筋は大会社の経営者交代だが、そこへ。現代社会の人間の赤裸々な姿を陰陽取り混ぜ織り込んで見事なドラマであった。ちょっと・・と思える点は本の展開では大詰めのドタバタ殺人事件、癖玉の中では龍昇にセリフの幅のなさ、松田慎也に若々しい大胆さが欲しかった。

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    2019/10/22 10:59

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