満足度★★★★
ハツビロコウ@鐘下作品。不足のあろうはずが..との確信を此度も裏切らず、開幕から緊張の糸の弛む事ない舞台だった。下北沢「楽園」の圧迫感が作品に相応しい。緊迫をもたらす状況設定も巧い。理不尽な事態に押し出されるように兵士らの口から本音の呻きが放たれる。
新型爆弾投下の報も軍に届いた敗戦直前、原爆を搭載した敵機の東京来襲を阻止する作戦部隊が駐留するとある山中へ、ある男が飛行士兼指揮官として配される。命令を告げた上官は男の兄を知っており、優秀で人望もあったその兄に代って命運を委ねると言われた男は、飛行機の知識はあっても経験値は未熟、それでも尊い使命に身を奮い立たせて現地へ赴く・・という冒頭。時折ナレーションで語られる「手記」の記者がその男なのか、行方不明となった男の兄なのか、混乱する所があったが、少なくとも弟には「入隊によって訣別したい過去」があるらしいと判る。配属先の四人の軍人らは若い通信兵、伍長、曹長、古参兵(役職忘れた)と作戦要員に相応しく一定の知識や外地経験を持つが、状況が状況だけに絶えず怒鳴り合いぶつかり合う。
「次の投下先が東京12日(広島6日、長崎9日の次)」との情報(噂)に拠り、翌日の作戦遂行へと事態は急迫するが、人員確保先に浮上した近隣の谷底の村の村人との接触を契機に、「兄」が率いたはずの先遣隊30名の不審な失踪へと、関心の焦点が移って行く。
戦争物としては変わり種なストーリー。その所以は、弟が着任した日に目にする「先遣隊」が発掘したらしい箱詰めされた縄文集落の遺物である。ナゾの事態が解かれる終盤で、戦争の是非や大義、民族意識(ナショナリズム)を巡っての議論が人類史的視野から突き上げられる。
情報を受信する事しかできない山中で次の行動をめぐって互いに対立する部隊員たちは、作戦遂行のため徴集したものの山の祟りの伝説を恐れて早く村へ返してくれと懇願する村人の言葉を、兄たち先遣隊の失踪といつしか結び付け、それを否定したい者と一定の判断をしようとする者との感情的な対立としても過熱して行く。
対原爆搭載機迎撃作戦(作者の創作?)の実体は、片道燃料を積んだ木製の特攻機と変わらぬ代物。ロケット噴射燃料に相当すると思われる物質を用い、6分以内に成層圏に達し敵機を攻撃、もしくは体当りするというもの。
「理論上は可能」と上官は言う。お芝居上の話だから荒唐無稽もあり、と理解するか、日本軍の荒唐無稽さ(無策さ)を示す話と受け止めるか。いずれにせよ、華々しく自分を飾る死に場所を得た主人公は、作戦に執着する事で誤判断を部下に押し付ける事となる。さらに村人の非協力という事態に対しては、兄たち先遣隊30名の失踪の原因を(女子供しか残っていない村の)村人らの仕業だと断定する。
「見たいものしか見えない・信じない」(先日の浮世企画の芝居ではないが)、無責任極まる希望的観測、ご都合主義、つまりは戦時の日本軍の体質そのままを体現する主人公の言動。それが何に由来するものか、そこはかと示唆するものがある。
「国粋主義者」と化す主人公には、過去の負い目と、現在の浮かばれなさがあった。「それ」以外に己を価値づけるものが「ない」時、人は国家という最大の「公」に奉仕し、人知れず(と言いながら誰かには認知されるだろうとの予測に基づき)、浮かばれなかった己という存在・人生にせめて報いる選択を行なうもの。
はっきり打算で大樹に寄り沿える徒輩とは異なり、主人公のような不器用な人間こそ、芯からの国粋主義に身を委ね、自爆テロを厭わない人間になる。他に身を立てる選択肢が他にないからだ。
人間の尊厳や人権、正義、道義といった普遍的価値が疎外され、さらには家族や中間団体といった単位が解体された社会では、最大の価値ある実体は国家であるからして、術を持たぬ者はこれに殉じて名誉と利益を得ることを目指す。
逆に言えば、為政者が民を国になびかせようとするなら、道理が通用しない状態を徐々に作り出し、自力で社会的地位を確立できない状況を作り出せば良い。翻れば、今それは着々と進められている訳である。