満足度★★★★
上田誠作・演出舞台は2作目(一作目は「続・時をかける少女」)、ヨーロッパ企画は初である。『ビルのゲーツ』で劇団名を知ったが中々観る機会を得ず、そのかん岸田戯曲賞も取り、昨年は雑誌に載った戯曲を面白く読んだ。で、初観劇。
「笑い」とは何を共有しているかに大きく左右される、とは先般のラッパ屋公演終演後の挨拶で、鈴木聡氏が呟いた趣旨であったが(挨拶を振られてボソボソと喋った文句にしては含蓄があり笑いを誘っていた)、ヨーロッパ企画も笑いの出所は「ヨーロッパ企画的笑い」を共有する観客の記憶、にあった。何が笑えるかは時代や状況により、引いては個々の生い立ちや文化により変わるので、「大勢が同時に笑う」という現象はむしろ希少価値である、くらいに考えるのが正しい。同時代の共通体験、教育やメディアを通じた共通認識、共通感覚は笑いの味方であるが、「これだけしっかり作られているから笑うのが正しい」とは言えないのが笑いの難しい所。
「時をかける」はどうだったかと言うと、こちらもそういった観客によって会場の笑いが加算されていたと思うが、しかし役者の演技の普遍性・伝達力が比較的広範な観客層が理解し得る「おかしさ」を的確に伝えていたという感じがある。ただしその中には(メイク等で判らなかったが)著名な俳優が居てその耳慣れた喋りが過去の記憶を呼び起こし、広い意味での「共有」効果が生まれていた面もありそうだ。
一方今回のは(「時をかける」にも多く出演したに違いないが記憶には残っていない)ヨーロッパ俳優+知らない客演者による舞台。役者たちは実力を見せていたから、本+演出・趣向の中身が「笑えたか」の問題だろうか。。結論は「期待したほどではなかった」。無論それは「笑い」の性質からして自然な結果であって、もっとヨーロッパ企画の俳優を知り、違う作品を味わえば「あの役者がここではこんな事を・・:」と笑いの材料はきっと増えていくことだろう。