桜の森の満開のあとで 公演情報 feblaboプロデュース「桜の森の満開のあとで」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    某大学のゼミに参加するというふれこみ。

    教授役の男性(ちなみにシアターミラクル支配人)は前説で「タバコを吸うシーンがある」と述べたが、いまどき そんな大学生いるか。





    大学生たちは「模擬カンファレンス」という討論で成績に差をつけられるゼミに属する人々であり、利害関係者の役になりきって特定のテーマで「賛成」「反対」の意思表示をとり、多数決の方が評価を稼げるというシステムだ。意見を言わないで多数派に追随してもよいが、稼げる評価は少なくなる。ただし少数派には評価がつかない。



    そして、テーマとなったのが近未来、架空の自治体(福井県の実在の市をモチーフ)における「高齢者から投票権を取り上げる」条例だ。これを賛成する市長、商工団体、電力会社の代表者らに対し、地元NPO青年らが反対する。

    市長役の女性がキャリアウーマンのような出で立ちだ。どぎついものの知性があり、場の中心となる。対して やや誇張だったのが電力会社員役の男性。



    毎週のように集まり、クールダウンよろしく休憩をはさみつつ、席に着く学生たち。

    白熱の議論はロジックで、観客である参加者に配られる詳しい資料も相まって、さながら『朝まで生テレビ』視聴者だ。ここは照明を明るくしたり、開演中でも読み込む時間を用意した方がよかった。



    この議論は劇中劇である。


    だが、それが現実の人間関係に影響を与え、しかし現実の人間関係が論戦を覆していき、衝撃を辿る。



    専門的な見地からいわせていただくと、シルバーデモクラシーが非難の的となっているからといって、高齢者から票を取り上げるのは反対だ。高齢者をアイコン化し、「高齢者だから高齢者のための候補者に票を入れるはずだ」というのは個人を無視している。仮に100人中99人の高齢者に そういう傾向がみられたとしても、1人の投票権を喪失させていいのか。

    また、「高齢者だから高齢者のための候補者に票を入れるはずだ」がダメだと権力側が決めつけるのは絶対主義だ。善し悪しは有権者の判断に基づくものであり、相対的でなければならない。それを極化すれば、権力側が「善い」とする投票結果を得られるまで投票権の属性を絞ることになるからだ。(被成年後見人の投票権剥奪は憲法違反とし、個人の権利は復旧されている)

    そのような社会が健全かは言うまでもないだろう。


    だから、申し訳ないが、専門的な見地からはゼミの「結末」というものも首を傾げたくなる。















    半端の「地方分権」ほど、この国を陥れるものはない。福岡県などでは憲法違反の「条例」を制定し事実上、施行してしまっている。本来、国を縛る最高法典として憲法があり、その下に法律があり、条例がなければならない。だが、現実には、法律としては憲法違反の疑いが強いから「条例」として既成事実化し、国民を縛る働きをするケースもある。あれを法律でやろうとしたら法制局がサインしたかどうか。憲法では日本の最高機関は国会であるとされているが、政治家や官僚、メディアのスクラムによって この国の長に祭り上げられたのが地方自治体である。



    専門的になってしまうが、日本の自治体に権力分立はない。二元代表制ということにはなっているものの、圧倒的多数の議会で首長の提案する予算・条例が通過(全提案、全会一致)しており、議員の提案も 枯れるほどしかなく、「なれ合い」という日本的関係が続いている。いわゆるオール与党である。ここまでの経済規模を有する国で、自称・民主主義でありながら一部の県・市・町政を除いて対抗軸がないというのは、実は驚異的である。



    自民党の石破茂氏は憲法改正において、参院議員を「地方の代表」選出とする内容を主張している。これは、自身が県連幹部を務める鳥取県が、お隣の島根県と合区の対象となったことによる。つまり「地方の小さな声を、より拡大して国会へ」という思考なのだが、このことは、国会議員を「国民の代表」とする現行憲法とは真っ向から衝突する。それをつぶさに検証すべきだろう。


    第一、仮にも都道府県を戴く中央集権制のこの国において「地方自治体」を選出主体とするのは、北海道の代表や沖縄の代表といったアイデンティティと政治的基盤を一層強固にするものであり、単一国家観を揺らがせることは言うまでもない。それはさておき、自民党は制度的に地方分権する道州制に関しては導入の立場をとってきたはずだ。いつのまに変えたのだろうか。もちろん、石破氏も導入を期す法案には賛成していた。

    憲法で、合区をなくすために地方自治体を書き込むことは、道州制の導入を放棄することとひとしい。なぜならブロックごとの人口単位が一千万にもなる道州制は、一票の格差という点では予め均等になるからである。書き込む動機がない。


    無責任なのは石破氏に限らない。もし合区が都道府県への帰属を壊すのが嫌で憲法改正したいのであれば、道州制については どう総合するのか、自民党は明らかにすべきだ。




    たとえば旧母体保護法の補償問題では宮城県が突出して違憲行為をしていた。調査ジャーナリズム・ワセダクロニカによると、各界が一体となって不妊を広める広報をおこなっていたという。この問題は当時の厚生省が推奨していたので分権論のみでは扱えないが、日本が、中央集権制で水平に この国を指導していったわけではない。


    そして今日、違憲の疑いが強い「条例」も採択されている。そうした「自治の暴走」においては、中央が責任を以って地方を是正すべきだ。




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    2019/08/14 01:16

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