満足度★★★★★
こいつぁケッサク。ハチャメチャだが好みである。
例を挙げれば、以前観た名取事務所「背骨パキパキ回転木馬」の感じが近い。これは別役実の「新作」ではあったが、演出ペーター・ゲスナーに拠れば病床にある別役氏から渡されたのは殆どエッセイに近い短文のコラージュのようなものだったとか(逐語的ではないがそういう趣旨)。要は別役戯曲の醍醐味たる「会話」が殆どない。しかし、脈絡のない場面の連なりの中に通底する気分や雰囲気は確かに流れており、これが何とも言えず美味であった。
さて作・演出天願大介、幽鬼屋敷が舞台と来れば、冷気が漂うmetroの隠微で猟奇な世界を想像したが、真反対とも言える乾いた笑いのある舞台。文脈無視スレスレの際どさがあり、自由と言えばあまりに自由に様式の壁を超え、拡散気味であるが私には「散漫」でなく包摂を感じさせる「気分」があった。
人形劇の懐の広さの秘密に接近した気もする。操る人間と、人形との関係が既に見えている(晒されている)特質が、人形の出ない場面にも波及していた。
「ドイル君」では、人間と人形というサイズ的(だけではないが)開きの間にドワーフが加わる事により、何でも可という条件が整い、最大化しようというベクトルが働いたかも知れない、と想像する。役というより本人そのものであるマメ山田の役との距離感・遊び方は唐十郎の域。言わば「素」場面がシュールに成立する事が最大の現れで、ヒール役がマイクを持って歌えば本来味方役である綺麗どころ2人がノッてライブノ盛上げ役をやるというハミ出し場面まである(ここだけはとっつき兼ねたが)。
物語として大したカラクリは無いが、この気分と雰囲気は希少であり、買いであった。そして「幽鬼」屋敷の住人である(人類を異種配合して改造したという)異形の生物らの「存在じたい阿鼻叫喚」の造形はやはり人形劇ならでは。嫌悪に笑うしかない。
そう言えば物語には関わりのない、人形だけで演じる情緒たっぷりな無言劇など挿入されるが、なぜか違和感なくウェルカムであった。
ただしこれは全て計算ずくの成果だろうか・・偶然の要素も幾分ありそうに思う。いずれにせよ演劇の「不思議」の賜物であり、言うまでもなく、実力ある演者の芸の賜物でもある。