『熱海殺人事件』  vs.  『売春捜査官』 公演情報 燐光群「『熱海殺人事件』 vs. 『売春捜査官』」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    燐光群とつかこうへいの取り合せは以前沢野ひとしをやった時のような意外性からの成功のパターンか、失敗かのどちらか・・迷ったが好奇心には勝てず千秋楽を観た。
    つかこうへい作品のエッセンスは、あるアマ劇団の気合いの入った舞台を一度観て辛うじて片鱗に触れたのみだが、それでも十分なインパクトがあり、当時の日本演劇の画期であった所以を了解した(つもり)。従って今回はつか作品の換骨奪胎が勿論狙いではなく、つか演劇という実体を掘り起こして現代という土俵に据える試みに大いに期待をした。
    (続きは後程)

    ネタバレBOX

    つか劇団出身の麗女優木下智恵を招き入れての燐光群流・つか舞台への挑戦。意気込みを感じるが、確かに前半戦は「熱海殺人事件」の笑いのうねりを作っていた。取調べ刑事伝兵衛が事件の真相よりも彼なりの「犯罪らしさ」(ドラマ性)への拘りを優先し、本来の職務を逸脱して容疑者と被害者(死者)の人生に干渉していく。無名の彼ら同時代の多くの若者の冴えない日常が、取調室という閉鎖空間に居合せた同床異夢らのてんでな喋くりの中で、鎮魂の対象のように浮上する。
    言葉の応酬で固定観念を平然と超える醍醐味は、以前アマ劇団で見た「熱海」にもあった。
    一方坂手特有のテキストは中盤から登場する。元戯曲の「あの海に浮かんだヨット」を辺野古の海に浮かぶ「抗議船」へと半ば強引にスライドさせ、調書に書かれるべき被害者(愛子)と容疑者の青年とのデートをかっさらって抗議行動に愛子を青年が誘ったという事になった。その後観客としては忍耐の時間が流れるが、ラストは坂手一流の技で「つか」の文脈に合流させた。私の見た坂手台本の中でも、最も強引な部類に入りそうだ。ただ、木下女史の孤軍奮闘とは言わないが、「つか」世界に生きる彼女の姿を信じられた事で、舞台は閉じるを得たり、という具合であったように思う。

    あまりに異質な二つの文脈に、芝居が引き裂かれた印象は拭えない。確かに沖縄は日本社会の不全を象徴する代表的トピックで、今日上演される全ての演劇の舞台の台本にこのトピックをを書き込めないものかと頭を悩ませるのが自然だ、位に思っているが・・・、少なくとも正論を吐いて「正義は我が方に有り」と溜飲を下げる台詞は、どうも「つか」文脈に馴染まない。余裕がなく感じるからだろうか。
    一介の刑事が犯罪を人間ドラマに仕立てようとする偏執的行為には、どこか可愛げがあり、正義の彼岸に自身を置くことでいっぱしな硬質な言葉で政治を語るような分際でない、と卑下する態度があり、そうしながら真の価値を生み出す人間の本性に近いところに居る。・・人間の「欲求」への居直りというか、自覚にこそ「ほんたう」の次元からの変革は可能なのである、といった70~80年代の思潮が「つか」作品(「熱海殺人事件」しか知らないが)のベースにある。もちろん一つの解釈に閉じ込める必要はないのだが・・。
    それでも「熱海殺人事件」だけあってエネルギッシュで爽快な舞台の後味であった。

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    2019/08/07 00:02

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