満足度★★★
今年の3月に文学座のアトリエで上演した本を、俳優座の稽古爆公演がやるという。
半世紀ちょい前なら演劇界の大事件(イベント)だが、今はひっそり、私も文学座は見逃した。カナダ演劇がいかにもアメリカ的な地方都市人間模様を描いても、いかばかりの物か、と食指が動かなかったのである。
19世紀末、保守性が強いアメリカ東部小都市の資産家の一家のミステリである。父親に後妻、二人の子供はともに女姉妹である。後妻には性悪の弟がいて、資産を後妻のものにしようと耽々と狙っている。メイドが一人。この家で父親と後妻が斧で頭を割られて惨殺される。なぜこの犯罪が起きたか。
戯曲は少し凝っていて、事件の結末も出た後で、姉妹の妹(若井なおみ)が友人の女優(小澤英恵)に、事件の経緯を再現させて、その心理を追うという形になっている。その犯罪事件は、アメリカでは有名な事件であるらしいが、我々が見ても経緯が平板で、、19世紀末にはこれで通ったんだなぁという位の感想しかわかない。日本で言えば明治の新派劇である。封建的な父性社会への反発、とか、女性の自立、とか、地方都市の封鎖性という枠組みも、父親、後妻、義弟のキャラ作りも、手を汚さない姉、イラつく妹、澄ました顔で手癖が悪いメイドなど、俳優もおなじみの型どおりで、戯曲の仕掛けがなければとてもまっとうには付き合っていられない。
現代アメリカ演劇はこんなもんではないだろう。これは1980年初演と言うが、今年見たものでは俳小の「殺し屋ジョ―」が90年。掘り出すのなら、こういう生きのいい戯曲を発掘してほしい。二大劇団が争って上演するようなものではないだろう。ミステリ劇としても、レッツの方がはるかによく出来ている。
ただ感心したのはやはり俳優の層の厚さで、旧新劇団には昔懐かしい、すれていないように見える美女がいる。姉役の桂ゆめも若井同様、美女であるだけでなく下手ではない。老けの中寛三は、今や大幹部だろうが、さすが柄では小劇場の及ぶところではない。装置もいいし、効果、音楽の入れ方もシャレている。すでに売り切れ続出は目出度いがせいぜい客席百余りでは、浮かれてもいられまい。この顔ぶれで、なぜ文学座と張り合ってまでこの本で、公演を打ったのか、ミステリの謎は解けない。。