満足度★★★★
ちらちら気になっていた劇団をこの機に観劇。名を知る出演者が橋渡しに。すみだパークスタジオの横広使い(桟敷童子に同じ)は正解で、客席からしっかり芝居に噛める。
言葉(論理)と物理的暴力が、非力な側の人間を支配するリアルな描写に心疼きながら、成り行きを見守った。終盤、抵抗から敗北へと辿る主人公だが、そこはまだ伏線の段階で、待ち受けるラストの最悪の図が浮かび、それはやめてくれと心中懇願する自分が居た。それだけ入り込んでいたようである。
オーラスの時間はリアルというより象徴的な描写で「思春期の一コマ」と括られるような処理だったが、生々しいのはいかにも学校っぽいモルタル壁の肌合いがこの空間の閉鎖性(さらにそれを擁する小さな町という閉鎖社会)を示し、十代に味わう成長への希求ゆえの無力感をフラッシュバックさせるものがあった。
体罰教師(野球部コーチ)は法に抵触しているため最後には捕まる運びとなるが、悪は滅びる式の結末でもなく水面下に広がる体罰の実態を告発するのでもなく、「この体験とは何なのか」「この実態とは何なのか」と舞台は問うて幕を下す。
若手、かどうかよくは知らないが、地に足のついた堂々たる舞台。