満足度★★★★
「カガクするココロ」初観劇は桜美林大での学生発表(多分10年以上前)で、これが現代口語演劇初体験。時代に合った表現を見た気がしたと同時に、音楽がないストイックさ、娯楽性フィクション性を削ぎ落とし客に忍耐を強いている印象も。確かズンドコ節の替え歌を全員がアカペラで歌って幕が下り、ああこれが取って付けたようだが終劇間際のサインなのね、と納得。後に青年団バージョンを見て、学生版にはなかったディテイルのリアルに面白さを発見した。
さて今回はキャスト全てフランス人。学生の発表公演のために仏語バージョンに書き換えたリニューアル版だそうである。フランスだけに恋愛話や口説き文句が増えていたが、惚れた腫れた以外の内容はほぼ無く、日本語バージョンも実はそうだったか?と記憶をまさぐった。日本人は恋愛感情も関心もオブラートに包み、その苦しさがモチーフになる。オブラート(表層)部分すなわち建前の論理も日本では他者との関係性では重要になる。そういった文化的背景を仏語バージョンでは当然変えねばならなかったという事は想像できる。字幕の観劇では人物関係を把握するに至らず、伏線回収場面を部分的には楽しめた。若い俳優たちは内面から滲み出る個性を風貌に刻んでおり、制御された佇まいは青年団のそれだが、日本人俳優の場合「見せなくてもいい」と割り切って演じているように見えるのに対し、キャラが濃いせいか劇空間も単に記号的でなく熱が通ってみえる。
他の発見としてはフランス人なりの多様な個性、キャラが少しずつ見えてきた。ただそれが俳優が作ったキャラなのか、俳優自身が持つキャラなのか・・平田流では本人キャラだろうと推察。少なくとも恋愛に深く絡む人物には「見た目」の良いのが選ばれるのは「この森の奥」とも共通。ただしこのステロタイプな配役はもう一つ面白味に欠ける。