『その森の奥』『カガクするココロ』『北限の猿』 公演情報 青年団国際演劇交流プロジェクト「『その森の奥』『カガクするココロ』『北限の猿』」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    オリジナルではなく過去作の改作だという。「北限の猿」を以前観た感触を思い出した。
    マダガスカルにある研究所に日韓仏の研究者が集まり猿・類人猿を研究している。日常的な挨拶くらいは出来るが踏み込んだ会話は携帯式の音声翻訳器で行い、観客には正面に左右2つのディスプレイに字幕が映される。ポータブル翻訳器は今なら実在しそうでもあるが、10年前なら「近未来」の設定だったろうか。いずれにせよこの研究所のような国際プロジェクトが例えば英語でなく、母国語による会話で実現し、様々な夾雑物を排除できる時代にはファンタジーでなくリアルベースで多文化の現場が芝居になる。それを実際に仏人役を仏人俳優が、韓国人役を韓国人俳優が日本人と演じる舞台がこのたびお目見えとなった。字幕が挟まる事の観劇上の障害はあるがどうにか大意は掴める。
    その上で「お話」の良し悪し、好き嫌いはあるのだろうが、面白い芝居ではあった。核心は彼らの研究対象である類人猿に関する知見。我々人類と突き合わせ、比較する事で人間や人間社会と動物(の社会)との差異があやふやになってくる。会話は新たにやってきた女性研究者、マダガスカルの観光事業に研究所を組み込もうとする日本からの民間プロジェクト3名との接触を契機に展開される。作者のうまい設定だ。
    ただ、話題は差別や侵略の歴史にも踏み入って行くが、そうした話題を「出す」事で溜飲を下げ、最後はみそぎを終えたかのようにスッキリ、虹を見に行こう!と切り替わるのには何やら座りが悪い。ほぼ出揃っていた出演者が最終的には「虹」を見るべく全て退場するのだが、最後に会話を閉じて(舞台の締めくくりを担って)出て行く女性3人組には殆ど虹を見たい欲求を感じない。誰も居なくなった空間を見せて幕、というパターンは平田オリザ作品に多いが、互いの理解を深める大事な会話が「授業時間」などで中断されるならまだしも、見なくていい「虹」のために切り上げられてしまう。
    「芝居の都合」とは思いながらも、欲求に従うのでなく「付き合いでする行動」には日本の連れション的行動パターンの嫌疑がもたげる。フランス人なんだがなァ。

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    2019/07/12 02:49

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