エダニク 公演情報 浅草九劇/プラグマックス&エンタテインメント「エダニク」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    ロングランも折返し地点。鄭義信演出版「エダニク」を浅草九劇にて鑑賞の日がやっと来た。3度目になる同戯曲の観劇、関西人作家の作品をコテコテ鄭演出がどう料理するかが関心の中心であったが、序盤で吉本新喜劇路線全開、演出家の血は韓国以上に関西が強いのではないか・・との考えさえ。
    ヒューマンなドラマと笑いには奇妙な親和性があり、鄭義信の舞台はこの笑いを極大化した中に発露するヒューマニズムが特徴、とも言える(かも知れない)。その特徴が果たして今回のこの戯曲とうまくマッチングしたか、が一つある。戯曲から笑わせ所を発掘し見せ場とする技はさすがである。ただ終盤、笑いからヒューマンへの転換にG以上の急降下を要する箇所では、胸にぐっと迫る場面への豹変を待ったがそこへ持って行けなかった。感動的な終演を狙っただろう照明(光量の上昇)もやや付け焼刃の印象。
    鄭の「極大化舞台」の立役者となるには、3俳優の力量の総和はこれに及ばず、もしくはこの戯曲にその路線が正しい選択だったのかの問題は残ったと思う。

    ネタバレBOX

    公演も10日を超え、芝居も熟す頃合いと期待したのだが・・・舞台は「観客が育てる」もの、しかも唾も届きそうな小劇場、みれば平日昼間とは言え客席の殆どが若い女性である。ジュノンボーイ稲葉友の超デフォルメ演技に声の無い笑い(肩を揺らす)が起きる妙な空気感に、「育ててもこの程度」の原因を邪推したものであった。
    終演後、二列ばかり後ろの座席に、先日目にしたばかりの「御大」の姿があり驚いたが、受付に並んだグッズを見て思い出した。役者の一人が大鶴佐助(御大の息子)、意外に巨漢で社長のボンボン役の秀逸な演技を見せていたが、ラストの予定調和なヒューマン場面では所在なげな風も。関西弁を連射する役に阿佐ヶ谷スパイダース・中山祐一朗が一人野育ちのような毛筋で、一切笑顔をみせず、お笑い生産面では真正面演技で健闘していた。

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    2019/07/04 23:48

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