ねこのはこにわ 公演情報 teamキーチェーン「ねこのはこにわ」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

     グリーンハイツの主にゃ。名前はにゃい。人間どもの面倒を見ているにゃ。猫にゃ~~~~~~(華3つ☆)

    ネタバレBOX

     板上レイアウトは、にゃこの動き回る導線がフラクタルに近い形になっていてその導線のあちこちに6つの部屋が配置されている感じだ。但しフラクタルとは言っても2階建てであることは、平台を置いて高低差を出していることでも、科白の随所に上の階に住んでいるとか、引っ越してきたとかいう所に示されているので、一見フラットに近い視覚的認識には注意すべし。基本的に住人は皆良い人なのだが、シングルマザーで幼い娘と別居中の若い女性を訊ねてくる男は、彼女の貯金を狙うだけであり、200万程度の借金で殺すと脅され怯えている男だが、中国人留学生と思しき彼女の隣室住人を不法滞在嫌疑で警察に連行しようとする辺り、そして連れて行った先が彼が借金をしているサラ金か何かのケツモチの組織らしいという所まで考えると、今作関係者が解釈するような単にだらしない男というより、結婚詐偽とでも考えた方がリアルではある。そのように解釈できる根拠は、彼女が通帳を渡そうとした時に彼女の信頼を得る為に敢えてその時点では受け取らず、彼女の留守中、合い鍵で忍び込んで盗難事件に見せかけようとしたことである。計算がミエミエであること、在日外国人をオーバーステイと即断し、入管法違反で脅す手口等だ。因みに入管法のオーバーステイで収容される人々がどのような目に遭わされているかは、オーバーステイしただけで何年も入管に収容されている実態、国際的な勧告を何度も受けていることからでも明らか。キチンと調べるのはかなり大変だが、興味のある方には、自分の参加している研究会にいらして下されば便宜は図る。
     然し昨日観た「ねこのはこにわ」は、実に日本的特徴のあるものであった。演じている役者の意識も観ている観客の意識も「自分の幸せ」感覚、浅いイメージに合致させるとそこでもう思考は終わり。後は頭を働かせることを停止し恬として恥じない。現実に生きることを阻害・阻止されるというマイナス要素を生活の中に持たないと思っているものだから、己の生活へのそれらの関与が間接的であるというただそれだけのことで思考停止に陥ってしまう現代日本の民衆の思考の危うさがそのまま出ている鏡のような作品だ。にゃこの描き方、その形態模写もスタニスラフスキーの演劇論を実践している諸外国の演劇人とは異なり、あくまでイメジャリーなそれであるから、リアルというよりイメージでどう感じられているか、その感覚表現であったのは多くの場面描写が示す通りだ。それ自体別に悪いとは思わないが、ゴロっと即物的に提示し、その即物性を観客に勝手に解釈させるという自立の基本からは、随分離れた表現形式であり、このような認識方法と思考方法、感じ方や受け渡しそのものの在り様が、日本人が己の社会を作り出す際に失敗し続けてきたことの原点にあるように思われてならない。これだけ酷く右傾化しているのにも関わらずその事態が何を意味しているのかを考えずに平気でいるから、尚世の中が右傾化してゆくのだ。
    Charles Baudelaireが失語症を発症する前、猫好きだった彼は己の不遇と孤独を嘆いて“猫も居ない”と記した。無論、彼は猫の自由と其処から生まれる美しさ、気高さ等々についても詩にしているし、それが彼流のイデアの産物であることは確かだが、彼の批評意識は、単に美学的なレベルには留まっていなかったであろうことも、こちらの想像力の羽を少し広げてみれば思い及ぶ所ではある。現在アメリカを始めとする大国の動き(アメリカに追随することしか知らぬ日本を含め)を見れば、戦争やその火種を絶やさぬことによって人々の危機感を煽り、そこにマスゴミが在ること無い事を焚きつけて人心を惑乱し、一色触発の事態を作り出している。このようにして軍備が必要だとの認識を人々に刷り込み、無意味な軍備拡張合戦への同意に駆り立てている訳だが、これも武器を売らんが為の商戦の一環でしかあるまい。
    一方、戦いというもの、ことを実際に経験した者がどれほどあろうか? スポーツでは無く、ルールの無い戦闘乃至は下手をすれば殺し殺される喧嘩をである。少なくとも日本には余り多く居まい。そんな所に付け込んでくるのが、死の商人達や彼らと深い関係を持つ政治屋なのである。彼らには儲けること以外に主要な目論見は無い。庶民がいくら死のうが常に闘いの背後に在って自らも、親族・眷属も戦争による死からは最も遠く隔たった場所に居る彼らには犬死の懸念は最少限に留まるからである。旗振りした奴が一番最初に抜け、付いて行った人々のみが馬鹿を見る。これが世の中の実相である。
     自分は糞リアリズムが嫌いだが、今作はリスクを回避する為に必要な最低限のリアル認識すら拒否し、在ることを在る事実として見ようとせず、その結果、与えられた偽情報や塵情報のみを判断基準にして結果取り返しのつかない過ちを犯すに至る日本人の感性と傾向とを如実に表しているように思う。
     終演後、出演した女優さんと話すチャンスがあったのだが、彼女の作品理解も大方の日本人と径庭が無いように思われた。残念である。
     にゃこばかりが自立しているのかも知れにゃいにゃ~~~~~。ふ~~~~~~っと。
     フォークナーじゃにゃいが、矢張り、にゃこの方が人間にゃんかよりマトモで賢いかもにゃ。にゃお~~~爪の垢でも舐めるか? 

     


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    2019/05/21 16:38

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