無伴奏~消えたチェリスト 公演情報 劇団東京イボンヌ「無伴奏~消えたチェリスト」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    鑑賞日2019/05/03 (金) 14:00

    3日午後、池袋の木製劇場で上演された劇団東京イボンヌ第14回公演『無伴奏~消えたチェリスト』の「消えたチェリスト」編を観てきた。これは、劇団主宰者で脚本・演出を担当している福島真也氏との関係からである。

    東京イボンヌの公演は、途中海産状態にあった時期を挟んでかなりの舞台を観てきた。その中でl、この『無伴奏』という作品は劇団の代表作であり、ちょっと前には初の外部団体上演も果たした作品で、今回は上演に際して結末を2通りに改訂しての上演であった。

    話のあらすじを、福島氏による文章から引用しておこう。

    過去に生きる男と未来を見続けた女。
    長野の山奥深いペンションに世界的なチェロ演奏者がやってきた。
    彼女は12年前のアルバイトであり、オーナーの「3ヵ月限定」の恋人であった。
    「住む世界が違うの。ここいにる3ヵ月だけ。それでもいいの?」
    気まぐれにアルバイトで来た貴子、ここでの生活しか知らない圭。
    そして3ヵ月が過ぎ、彼女は去った。未来を見続けるために。
    圭はその過去だけで生きようと思った。
    そして12年後、突然貴子がやって来た。


    この舞台のクライマックスは、12年後に離婚問題もあるが死に向かう難病かもしれない病に冒されたときに「3ヶ月限定」の恋人だった圭に会いに来て病のことを告げ、圭が死ぬなら一緒だと貴子の首を一時絞める、双方の本心を暗示した場面。このときの二人の高揚する気持ちをいかに表現するかが役者の見せ場でり、その気持ちの高揚感を舞台結末でどう納めるかが脚本の見せ所だろう。今回は、圭が貴子に会いに行く「無伴奏」編と、放送で圭を念頭に置いて「大切な人に捧げる」と演奏して終わる「消えたチェリスト」編の二つが用意されていて、自分が観たのは後者。
    難しいのだが、この後者の終わり方だと、病の結果や貴子の圭に対する思いの果てに用意されたものとしてはインパクトが弱いように感じてしまった。それは、貴子の元に行こうと思った矢先にラジオから貴子病死の知らせが流れ、圭が呆然と立ちすくむという初期の上演で魅せられた、かつての結末のインパクトの強さが頭に強く残っているからなのかもしれない。
    そういう意味では、今回の結末では圭が貴子に会いに行く「無伴奏」編の方がしっくりしたかもしれない。

    結果として、圭役と貴子役の役者に課せられた演技は難しい。特に、感情のままに生きる貴子より、感情を内に秘めた圭を演じることの難しさは並大抵はあるまい。そういう意味で、今回の圭役を演じた後藤啓吾は、やや荷が重すぎたかもしれない。貴子役の葉月美沙子の演技も、もっと感情の振り幅が大きくても良かったように思う。
    実はこの劇には重要な陰の立て役者が存在する。圭の経営するペンションに長期滞在するカメラマンである。今回は米倉啓が演じていた。まぁ、もう少しチャラいキャラでも良かったかもしれないが、なかなかの存在感を醸し出していた。
    7月には今回の脚本に更に手を加えての上演があるという。このときは、2通りの結末の違いをこの目で観て感じたいと持っている。

    0

    2019/05/09 14:10

    0

    0

このページのQRコードです。

拡大