かつては、クリスティより人気があって、名前を冠した月刊誌まであったエラリークイーンのフーダニット(犯人当て劇)。このジャンルが苦戦するにはいくつか理由がある。
読者と観客は違う、と言う事が第一。読むのは個人の愉しみだが、観客は劇場で見る。ここから、劇場へ行く煩わしさからはじまって、数時間を使う娯楽としてのコスト、犯人を当てた,あたらなかった、と言い合う楽しみまで、さまざまな身近な問題が生じる。
次は、芝居ではミステリのキモであるトリックを観客の目の前で、とにもかくにも見せなければならないという条件。やってみれば、どんなにミステリ小説が文章でごまかしているかがよくわかるが、読めばそこがまた面白いのだから困ってしまう。細かいことになると、配役でおよそ見当はついてしまう。一度見て犯人が解ってしまうと二度と見ない、などなど。挙げればきりがないが、フーダニットが前世紀中ごろまでは英米ではかなり上演されたようだが、今はウエストエンドではたまには見るが、新作はほとんどない。
一方では、探偵というキャラクターは、小説でもコミックでも、アニメでも大流行で、我が国の2.5ディメンションは、探偵なくては幕が開かない。
「エラリークイーン」は原作はクイーンだが、脚本も演出も日本製で、俳優もテレビでおなじみの顔がある。司会者がいて、クイーン父子の探偵が観客と共に犯人あてをするという実に古典的なフーダニット・二篇である。しかし、演劇としてはずっと2.5ディメンション寄りのつくりで、それなら、もっと徹底して、その線を立てたらどうかとも思う。現在世界でもっとも長い上演を続けている「マウストラップ」を追い上げているのは、アメリカのボストンだったかで、町の観光ルートにも入っている観客参加型犯人あて劇と言うではないか。
それなら、日本にも、坊ちゃん劇場あり、わらび座ありと言うかもしれないが、フーダニットは、都会で時代の推移に敏感な(敏感にならざるを得ない)演劇の受容としては面白くなるかもしれないジャンルではある。