満足度★★★★
一年以上空けての燐光群観劇。昨年1月の「リタイアメン」(清水弥生作、アジアとの共同製作)、燐光群ではないが3月の坂手洋二作・演出「ブラインドタッチ」以来だ。もっとも昨夏の「九月、東京・・」初演は完売で見逃した稀なケースで。。その話題作の再演は、「近い内に」との初演会場での約束通り実現し、鴨川てんしと中川マリの一人芝居との抱き合せ(こちらは観られず)と企画性にも配慮。半年後の再演とは燐光群としてはレアケースだが、客席はそれなりに埋まっていたとは言え満席には至らず、集客ダウンが見込まれたにも関わらず再演を決めた姿勢には(勿論個人的にも有難いが)敬意を表したく思った次第。
「九月、東京の路上にて」は関東大震災の朝鮮人(だけでなかったが)虐殺の足跡を広範に辿った原作著書のタイトルである。これには二重の意味がある。一つには著書に記述されたエピソードが再現される。この具体的な証言の力が、演劇的作為の中にあって作為を加えられない信憑性を持ち鋭い魅力を放っている。もう一つには、演者たちはこの加藤直樹著の現物を手に持ち、東京の「事件」現場を辿るという事をやる。エピソードはその「現在」に時間に挿入されて来る。彼らは有志で集まって世田谷区オリンピック対策何とか言う任意団体を立ち上げ、現場を訪れ議論をしながら「国際行事であるオリンピックに相応しい他国との向き合い方」を示すため、民間協力として今立つ場所=大震災時に殺された朝鮮人の追悼のため椎の木が植えられたとある神社の敷地に、当初あったはずの13本に足りない9本を植え直すという目標を掲げる。団体メンバー13名の他は、野党国会議員一人、彼を論難しようとランニング姿で現れる自称現役自衛隊員(実は防衛省の幹部)。以上が「現在」の2つのストーリーを構成し、最後には合流する。
一方過去の事件の再現には総員がコロスとして関わる。劇中劇の仕立てが衝撃を緩和してもなお圧倒される事実の強さがある。
震災当時の流言飛語や自警団の行動には各地各様の形成があり、警察などの公的機関も小さくない影響を与えたのは通説どおり。この「事実」の記述が現在学校教科書から消え、ある勢力からは刑事訴訟よろしく「証拠不十分」を盾に無きものにされる昨今であるが、僅かながら残された記録や証言には、作為的に作り出し得ない「具体」ならではの感触がある。事実とは何であるか、それを共有する事が如何に困難か、考えさせられる時間であった。