満足度★★★★
演劇と所縁の深い時々自動を初鑑賞。初とはいえ何故か馴染みのある感覚を手繰ってみれば2000年頃TV放映された『幽霊はここにいる』(串田和美演出)にて、無機的な振付とメロディが舞台にガッチリ嵌っていて、音楽家の範疇を超えた「分野」の存在を見た。
ツボにはまること疑いの余地なく、敢えてそれを確認するまでもなかったのだが・・という言い方も変だが、都合の空いた時間に予定を入れた。予想を超えた引き出しの多さ。音楽シーンも、ダンスも美術もジャンルの境界が消されていく流れだが、こちら時々自動は、音楽製作と不可分に演劇がある、むしろ積極的に演劇している様子が窺える。それに加えて歌いも蠱惑的、ムーブや舞踊、芝居仕立てのシーンも、身体の端までブレがなくクリアだ。
今回大勢の出演があったが半数が「演劇畑」から呼び集めた人たち(部分出演)、他が「時々自動」(所属は知らねど)。楽器演奏を担うのは「時々」だが喋りや身体パフォーマンス、なにがしか掛け持ちし、二芸以上持つ人材が集まる才能集団。全てにおいてソツがなく予測の枠を上回ってくる。
コンテンツは何でもありの感、檻のような縦長の箱が運び込まれ「演劇」の装置の形となり、そこに実況中継と称して回すカメラの映像や、時々自動の「未来」の出来事を過去の記事のように伝える作られた映像を映写したり(最初これを過去の「実績」の披瀝だと勘違いし、不要なコンテンツだなと思ってしまった)。絶えず音楽の演奏があり、曲数からして音楽コンサートと称して間違いでないのだが、演劇作品を観た時のような濃厚さが身体記憶にある。
朝比奈氏は以前SPAC版『鳥』で舞台の立ち姿を見ていたが、今回あれがほぼ素のままであった事が判った。
終演後のロビーはにぎやかで、ジャンル越境の出し物である事を反映するように様々な風情の人等が談笑、芸術サロンの様相が刺激的であった。