ユートピア?◆フェスティバル/トーキョー09春 公演情報 フェスティバル/トーキョー実行委員会「ユートピア?◆フェスティバル/トーキョー09春」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    演劇は終わらない
    3人が共同して、どのように作・演出を行うのか興味津々だった。
    まったくの空中分解に終わる可能性もあるからだ。

    しかし、ちょっとした驚きとともにそれは成し遂げられていた、と言っていいように思う。
    全編を覆うギクシャク感みたいなものも、互いの意思疎通の難しさを表しているように感じたからだろう。

    字幕を追うのは辛かった。しかし、ひっとしたら、それには理由があるのでは? と思ったのだ。その理由はネタバレで。

    ネタバレBOX

    全編通して感じたたのは、人と人との意思疎通の難しさだ。

    舞台では、言葉や文化が違うことによる意思疎通の難しさがあり、さらに言葉が同じであっても、意識が通わない意思疎通の難しさ、最後には時間による意思疎通の難しさが示される。
    そして、極めつけは、字幕による観客との意思疎通の難しさである(言葉による意思疎通の難しさに含まれるものなのだが、舞台と観客という要素があるので)。

    字幕の文字の多さ、台詞とのタイミングのズレ、字幕の文章の区切りの悪さ等々は、観客に仕掛けられたワナと、いうか「体験」なのではないか、と思ったのだ。

    つまり、台詞の内容と字幕の文字数はあらかじめわかっているはずだし、当然観客が字幕を読む速度もわかるはずだから、そのあたりはなんとかできたのではないだろうか、ということなのだ。
    だから、「あえて」(演出で)そうしたと思ったのだ。

    メタの上にメタ、メタ、メタと付くような演劇だったのではないだろうか。

    その上で、舞台では、言葉や文化が違う者たちが、どうにかして相手に伝えたいと思う気持ちや、過去の異物としての演劇やダンスを再生し、理解しようとする姿は、今まさに行われている舞台の内容を理解しようとする我々観客とダブっていくのだろう。

    「ここはフランスだ」と舞台の上で言えば、そこはフランスとなる。それは、フランスであり、イランであり、季節も時間もアッと言う間に変わってくる。
    そんな演劇の基本的なルールを丁寧に追っていき、作者が言い放ったイメージを受け取ろうとする観客がいる限り、演劇もダンスも終わることはないのだろうというのがラストを観た感想なのだ。

    これは深読みすぎかな?
    でもそう思ったんだよね。

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    2009/03/26 03:58

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