満足度★★★
鑑賞日2019/01/26 (土) 13:00
まず観劇前に気になってしまったのがタイトル。「ハッピーな日々」
通常「幸せな日々」というタイトルが通用しているのに、敢えて「ハッピー」としたのはなぜかしら、と。
テキストについては異常にまで強い拘りをみせるベケット作品。この作品でも、ウィニーは50歳くらい、ウィリーは60歳くらいと設定されていて、それはとにもかくにも熟年の夫婦像を想起させるものである。
しかし、この舞台でのウィニーとウィリーは20歳代。実際に設定どおりの年齢層の役者を使う必要はないのだけれど、
むしろ、この若い2人(特にウィニー)には「幸せ」を語らせるよりは「ハッピー」を語らせるのが似合っているということか。ウィニーはしばしば、笑顔で舌を出しながら「ハッピー」を繰り替えすのだから。
この舞台では1幕目は1日を、2幕目は数日を描いている(目覚ましが何度も鳴る)。ただし、1幕目と2幕目はどれほど隔たっているのかは判らない。1日なのか数年なのか。ただし、そこには大きな変容があり、ウィニーはウィリーからもらったお気に入りのカバンから、自分のお気に入りの物を取り出すことができない。歯を磨くことも、眼鏡をかけることも、ピストルの弾を確認することも。そして、日傘を開くことも。
なぜなら、彼女は首まで埋まってしまい、手を使うことができないから。
しかし、そこには、彼女が手を使えた時には不潔でだらしなかったウィリーが、正装をして現われ彼女を喜ばせてくれる。家族、夫婦、愛情、そして時間。どのように題材を観るかは人さまざまだけれど、明らかな老いと、そこで消費されていくものに対する哀切と愛着を観ない人は、まずいないだろう。
ある意味、素敵な素敵な物語。なぜって、ウィニーはウィリーが大好きだから。