満足度★★★★
2015年あたりに乾電池を初観劇した時は(夏の夜の夢)驚き呆れ果てた。学芸会に見えた。柄本兄弟の「ゴドー」など上質のものもあるが、劇団員総出のガス抜き公演(ひどい言い方だが実際そう思えた初観劇の舞台。二度ディスって御免)はこうなるのであるか・・と。二組編成した今回はその範疇にあるが、その他1本だか観て(あと加藤一浩作品のDVD等みて)、少しばかり見方を変えた。「学芸会」との感想の大きな理由はたぶん、架空の世界が立ち上がるために客の目を「ごまかす」努力を半ば放棄している様相だ。「夏の夜の夢」の光景を思い出すと、一段上がったステージに貼られた黒のパンチシートに塵や糸くずが付いたのが目に入ったり、ロマンもクソもない(普通照明とかでごまかすでしょ)。これがコスト削減ゆえなのか主義なのかは微妙なところだ。
だが、乾電池流というのか柄本明流というのか、それがある、と考えてみている。即ち優劣を付けず、上下をつけず(人の上に人を作らず)、フラットである事、そして役者は演じる人物以前にその人自身である事、裸で勝負するべきである事、舞台は飾り立てたりせず、スマートでなくて良い事(あのスズナリが壁の地肌丸出しで、奥にスピーカーがポツン、役者の「素」が見えるような明かりを多用)・・・そういった流儀が、一見「やる気のない」舞台と感じさせる。だがそれは敢えて選択した態度なのであり、「文句があるなら見なきゃいい」とまでに血肉化した劇団の風土であるかも知れない、と考える事が可能のように感じている。
「飛んで孫悟空」は別役実の喜劇。単純に笑える。劇団は別役作品を好んでやっているが、上述した役者の佇まいは別役の世界に合っているかも知れない。
過去データをみると、決まった演目を何度も再演し、準備時間もなく総出の舞台を、となると過去レパに頼らざるを得ない・・そんな劇団内事情を、隠す事もなく見せている風もあって、あけすけ感が東京乾電池の、否、もしや仙人・柄本明の志向するあり方なのかも知れぬ。
もっとも今回の「孫悟空」は2017年ピッコロ劇団初演の演目で、乾電池としては新作だ。やる気を出した公演・・・と思って反芻してみるが、舞台上の役者は相変わらず、乾電池な方々である。
過日細君を亡くされた御大の姿も劇場に見えたが、劇団員含め湿っぽさの欠片もない。飾らず、素のままが大事教の伝道師・柄本明は、我々にこう言っている気がする。優劣を付けようとする態度を恥じよ。つまらない舞台、面白い舞台、お金をかけた舞台、そうでない舞台様々あるだろうが、呼吸するように芝居する、それでいい。