満足度★★★★
リリパット・アーミーを同時代体験できなかった身としては、演出でらも氏と組んだわかぎえふの新店舗(もう何年も経つが)玉造小劇店に出かけるのがせめてもの・・・という事で数年振り二度目の観劇。
関西演劇界(芸能界?)の腕利き役者を揃え、明治維新から数代にわたる「鈴木家」の正月の日の一日の風景を淡々と描いた。美術が立派で和室の内側がで~んと。下手は隣家に通じており、引き戸を開けて鈴木家の裏庭に黒豆をお裾分けに時折入って来る女性は各世代とも同役者が演じ、違った調子を演じ分けて笑いを取っていた。
この作品は阪神淡路大震災の年にその原形が書かれ、上演されたもので、後で解説をみると今回は東日本大震災を受けて書き加えられたようだ。芝居に出てくる「あの震災の・・・」との台詞は阪神のそれを指し、最後に出てくる東北弁っぽい喋りの女性は、被災地から移住して来た人だったらしい(観劇時点では綺麗な着物だし被災の臨場感がなく連想が及ばなかった)。
加筆された(らしい)部分はともかく、この芝居の基調は波瀾に満ちた一族史というより、時代の波を受けながらもそれを鷹揚に受け止め受け流して時代を潜ってきた・・つまりは「波乱などなく」淡々と営みを続けてきた一族史。関西人に精神的打撃を与えた震災の光景も、連綿と続く人間・家族の歴史の一コマに過ぎない、そう見える「時」がいずれ来る・・・そのようなメッセージを当時は言外に告げた事だろうと想像した。
言葉と文化は不可分で、関西弁と関西文化も切り離して存在せず、関西弁の使い手が書き、達者な「関西弁役者」によって息を吹き込まれた戯曲。