鑑賞日2018/12/27 (木) 19:30
価格2,000円
19:30の回(晴)
リピート。
また関内駅から歩く。
『関内』 昔、M.ジャクソンやBon JOVIやCulture Clubなんかのライブを観に来たり、県民ホールやKAATや象の鼻や赤レンガにも。海が近いし広い通りと建物が異国っぽくて好きな街。
さて、年末の大整理整頓中に「洗い清められ」のDVD(2012/5収録)」を発見、「Viva Death」の時に買ったものと思われますがすっかり忘れていました。闇と土と音楽がとてもよいです。コーラスのようなところは「ホーミー」でしょうか。
一昨日と同じ席に座ります。
前説も暗転もなく始まります。 19:35~20:44、トーク21:05、バックステージツアー(3Fに宿泊施設)。
「一つのテーブルと二つの椅子そして」、「窓」はある。
会場の「窓」と戯曲にはない「窓」。
外は暗い、会場に入ると明るく白い、奥に目をやるとどきっとするような赤。
一昨日の「声」がまだ耳に残っているのであまり遅れずついて行けます。
初日とはちがって情感が表情や動きに直接現れているような印象を受けます。
ここらになると作家や演出家や役者の意図とは離れ、自身の経験(遠い過去でも最近でも)と(相当強引に)結びつけるものが出てきます。
一方、まったく的外れな箇所に意識が向かうこともあります。
ライブハウスのシーン、ギターのヘッドしか映りませんがたぶんリッケンバッカーだろう、とか。
Bob Marley→「War」→Sinead O'Connor(ダブリン)→U2 3th album「WAR」とか。
下手のテーブルと椅子。誰のために用意されたのか、なぜ不在なのか、とても気になります。
なぜ7つずつ減数するのか、なぜ終りが「0」にならないのか。
高野悦子さん「二十歳の原点」と比較すると何か見えてくるのか。
終盤、上半身をさらし、薄暗い中、赤い「枠」の位置、壁の方を向き、右手のテキストを高く掲げ、壁に映るテキストはエンドロールのように下から上へ現れては消え、背中やうなじや頭に伝い這いあがり、ひととき共生し、誰に語りかけるのだろう。
幕を開けて。