満足度★★★★
地点の年末公演は初めてか・・年の瀬の忙しない時季、その陰で無様に死地へ赴いた男を思い出し、あっけらかんと追悼してみるという試みが身体に殆ど抵抗なく入って来た。「あれ?」と違和感が走る事が無い、という事くらいしか、その完成度?を挙証する術が見つからない地点の毎回のパフォーマンスだが、アイデアの使い回しが無い(私が知らないだけかもだが)というのも、期待値を高めている一つだ。
音楽は使いようで、下手をすれば演劇の方が食われてしまうが、空間現代との今回の仕事では拮抗していた。
グッ・・ド・・バイ、グッド・バイ。7人が「グッ」「ド」「バイ」の三つを7名の俳優3組で恒常的に受け持ち、ギターのカッティングに乗せて威勢良く発する。出だしではこの繰り返しが長く、上演時間の短さを思い「時間調整か」と意地悪い考えがつい過ぎったが、程なく、巻き込まれた。太宰の言葉が新たに加わり、レイヤーが一枚、二枚と重ねられる。音楽の景色の変化も幾箇所かある。時間を厳密に刻む音楽の上に、歌唱と同じように台詞を発するのが、耳に快感である。
さて、既成戯曲(古典)や松原俊太郎の新作戯曲をこれまでやってきたのを、今回は非戯曲の舞台化に挑戦した。太宰の言葉のコラージュとすれば、出典はあり、大きな違いは無いかも知れないが、何を芝居の結語とするかは三浦基氏の専権事項である。最後のあたりでその意図らしきものがふと見えた気がしたのだが、よく覚えていない。太宰という「歴史」の一コマを消し去る事はできない、我々はこれを超えて行くしかない・・的なものだったか、一人の男ありき、大いなる事業を成せり・・的まとめだったか。結びはやや陳腐に思えたような記憶があるが、それよりこの舞台、あまりに知られた作家の仕事と、他に例がないほどよく知られたプライベートをあげつらい、笑う事の許される太宰治という存在を、今までに無い形で語り、茶化し、その事で愛着を伝えた出し物だったと言える。終演したばかりの役者が達成感のような表情を浮かべていたのは、楽日のためか。難易度も高かったろう。
常に中心的役者である安部聡子の不思議な存在感は、「拮抗する発語」の勘所を押え、はっきり言ってライブを見に行った客が良い演奏に「いえーい!」と叫んでるに等しい声のノリなのだが、「落ちない」声・言葉を出すための「心」が見える。このあり方が、舞台上のドラマ性を高めるのをどう理解すれば良いのか。やる側でない私には深い謎の一つだ。